2015年3月25日水曜日

「わからない」のか「知らない」のか

「わからない」とは、「わかっている」が前提にある。
つまり、「わからない以前」の状態もある。
これが「知らない」という状態である。

体育の場合を例に考える。
例えば、2年生の鉄棒遊びの学習で「逆上がり」のやり方を教えるとする。
これは、大抵見たことがある。
だが、「後方支持回転」(いわゆる「空中逆上がり」)は知らない子どもがいる。
まして「前方支持回転」(いわゆる「空中前回り」)は、見たこともない子どもが多い。
「けあがり」などは、想像もつかない。
だから、「わかる?」ときけば「わからなーい」と答えるが、実際は「知らない」が正しい。

見たことがないから、知らないだけで、わからないとは違う。
つまり、知ったらできる可能性がある。
知る→やってみる→わかる(わからない) という流れである。

だから、低学年は様々な動きを知った方がいい。
技を見せてあげればいい。
可能性が広がる。
わからないとかできないとか以前に、知らないだけの可能性がある。

「わからない」と「知らない」、どちらなのか区別するだけでも、指導が変わるはずである。

教育における「おそれ」の必要性

前号で、教育の世界はポジティブ用語を好むという話を書いた。 ポジティブは必ずネガティブと裏表セットである。 教育において、恐怖という言葉は、忌み嫌われやすい。 しかし、安全・安心とルールを担保するために、恐怖は必要になる。 恐怖という言葉にどうしても抵抗があるなら、「こ...

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