2015年3月19日木曜日

「わからない」を哲学する その2~知識との関連~

ある本を読んで、「わからない」と思う時。
例えば、外国語で書かれた本を読んだ場合。
まずもって、文章の持つ意味自体がわからない。
多くの単語も意味わからない。
つまり、文章自体の良否以前の問題である。
「日本語ならわかる」という前提の「わからない」である。
これは、医学の知識がない人が医学書を読む時なども同様である。

一方、日本語の文章だけどわからないという場合。
例えば、大学のテキストなどに使われる本。
文章が難解で回りくどくてわからないものがある。
これは「達意を目的としたすっきりした文章ならわかる」という前提がある。
しかしながら伝える側の意識が「わからない人にはわからなくていい」という前提で書かれている場合もある。
(つまり、対象読者を意図的に限定している。)
つまりこの「わからない」文章は、他の「わかっている」(わかりやすい)文章の前提に存在する。

次号、感覚的な「わからない」について考えていく。

「学級崩壊」の言葉を捨てる

素直さと学級崩壊との関連について。 学級崩壊の分岐点は、ここなのである。 子どもがひねくれてしまっているのである。 最初から聞く価値がないと各々が判断している訳であるから、当然授業も成り立たない。 素直でないので、何を言っても聞かない。 「だって」と「でも」で屁理屈...

ブログ アーカイブ