先月、新聞に、全国のいじめ認知件数の記事が出ていた。
半年間で昨年度の2倍だという。
記事にもあったが、いじめが2倍に増えている訳ではない。
認知件数が2倍である。
意識が上がったと肯定的な捉えである。
以前、メルマガで紹介した主張が、そのまま記事にも出ていた。
いじめが起きることそのものを否定する風潮が変わってきたと。
「いじめのない学校」のスローガンが時代にそぐわない。
いじめは起きるから解決しようという時代の流れである。
いじめがない学校ではなく、いじめを予防・解決できる学校が求められる。
ちなみに、認知件数第1位は鹿児島県、次いで第2位は千葉県。
鹿児島県約3万1千件、千葉県は約1万6千件と、ダントツの1位2位である。
普通に考えると、あまり名誉なことではない。
しかし、鹿児島県と千葉県は、いじめが多いのではなく、調査意識が高いと評価したい。
発見することが解決の第一歩だからである。
(調査方法が全国で全く一致しないので、数値として当てにならない面もあるが。)
警察との連携が不十分という指摘もあった。
学校内で抱え込みすぎると。
責任をとろうという姿勢はいいが、外部機関との連携も必要である。
今後、調査方法も統一され、更に意識が高まることを期待する。
いじめは起きる。
起きる前提だから予防の態勢がとれる。
この認識がいじめの被害を軽減させる第一歩である。
2012年12月29日土曜日
2012年12月27日木曜日
ちょっといい話「アサガオの花」
全然季節感がないが、いい話を知ったのでシェアする。
次の本からである。
「きみはなぜ働くか。渡邉美樹が贈る88の言葉」
渡邉美樹著 日本経済新聞出版社
ある植物学者が語ったアサガオの話である。
アサガオは、日光が当たると咲く。
だから、一日中日光を当て続ければ、アサガオが早く咲くのではないかと実験を行った。
しかし、これだと、逆に花が咲かなくなった。
何が花を咲かせる要因なのか、研究を進めていった。
すると「夜の冷気と闇」がアサガオに「さあ、花を咲かせる時間だ」というサインを送っていると分かった。
アサガオは、このサインの後、日光を浴びると花を咲かせる。
人間も同じである。
物事を成そうとする時は、必ずこの「夜の冷気と闇」に包まれる時間がある。
それがあるから、チャンスが来た時に成功できるのだと。
全てのことに通じる話ではないだろうか。
あらゆる場面で、子どもに語れる。
今ならちょうど合唱やマラソン練習中の学校も多いだろうから、そこにも当てはめられる。
発表会や大会が、日光の差す日である。花開く日である。
花開く為には、厳しい練習や困難(冷気と闇)に耐える必要がある。
この話は、いくらでも応用できる。
「ピンチは、チャンス」という言葉にもつながる話である。
次の本からである。
「きみはなぜ働くか。渡邉美樹が贈る88の言葉」
渡邉美樹著 日本経済新聞出版社
ある植物学者が語ったアサガオの話である。
アサガオは、日光が当たると咲く。
だから、一日中日光を当て続ければ、アサガオが早く咲くのではないかと実験を行った。
しかし、これだと、逆に花が咲かなくなった。
何が花を咲かせる要因なのか、研究を進めていった。
すると「夜の冷気と闇」がアサガオに「さあ、花を咲かせる時間だ」というサインを送っていると分かった。
アサガオは、このサインの後、日光を浴びると花を咲かせる。
人間も同じである。
物事を成そうとする時は、必ずこの「夜の冷気と闇」に包まれる時間がある。
それがあるから、チャンスが来た時に成功できるのだと。
全てのことに通じる話ではないだろうか。
あらゆる場面で、子どもに語れる。
今ならちょうど合唱やマラソン練習中の学校も多いだろうから、そこにも当てはめられる。
発表会や大会が、日光の差す日である。花開く日である。
花開く為には、厳しい練習や困難(冷気と闇)に耐える必要がある。
この話は、いくらでも応用できる。
「ピンチは、チャンス」という言葉にもつながる話である。
2012年12月25日火曜日
国家意識を教育する
今日は、クリスマスなのに、いつも以上に真面目な話である。
宗教に関係なくクリスマスを祝う国だからこそ、今日書いてみる。
ある勉強会で「国家意識を教育せよ」という話があった。
直感で「何だか危ない話だ」と思った人がいるかもしれない。
でも、そういう風に感じてしまうこと自体が、日本の病巣かもしれない。
今回の勉強会から、自分の考えたことをシェアする。
日本は危機的状況にある。
1000兆もの借金を抱える中の被災地復興、領土と自衛、国内の諸問題。
いつの時代も、問題は山積である。
しかし、だから子どもにどうこうできるかと言えば、できない。
大人にだってすぐに手が付けられないのである。
関心を持つことは大切だが、子どもに危機感を持たせても意味がない。
子どもは、安心させてやる必要がある。
安心させるには、守る存在が必要である。
では、子どもは誰に守られているのか。
当然、読んで字の如く「保護者」である。
多くは「親」だろう。
その親も、自分の暮らす地域社会に守られ、生活している。
地域社会も、市や県といった単位の大きな社会によって守られている。
では、県も含む大きな社会を守っているものは何か。
国、つまり国家である。
国家には「家」という字が入る。
家なのである。
英語でいえば、「ホーム」である。
帰るべき場所である。
誰しも、国家に守られている。
国家は、国民を愛し、守る。
国民も国家を愛し、守られる。
当然の関係である。
子が親を、親が子を愛するのは当然である。
こういう「当然のこと」がいくつかあり、そこが揺らぐと全てが崩れる。
だから、当然のことは当然なのである。
議論不要である。
子どもの通う「学校」という社会では、子どもは先生を敬い真剣に学び成長する。
それに対し先生は子どもを真剣に愛し教育する。
至極当然であり、その為の機関である。
(尊敬されるよう、教師は人一倍努力する必要があり、子ども側もそれに応える努力が必要だ。)
市政は市民を第一になされ、市民は市に税金を払い、自分の市や町を愛するため行動する。
お祭りなんかもその一つだろう。
互いに、真剣にやる。
どれもこれも当然のことである。
国民は国家を愛する。
どの国でも当然なされている教育である。
自分の国が嫌い・誇りを持てないというのは、自分自身への否定につながる。
世界の子どもの自尊心アンケート調査の結果が、それを如実に物語っている。
日本の子どもがそこで世界ダントツ最下位なのは、社会のせいである。
つまり、学校教育の責任である。
国を愛する心を育てる。
国家意識を教育する。
戦時中の「国のために死ね」という歪曲した愛国心教育とは、意味が違う。
純粋な、人間として当然の教育の意味としてである。
外国直輸入のクリスマスを祝いながらも、日本人としての誇りは持っていたい。
クリスマスを幸せに祝えるのも、日本国民だからこそである。
宗教に関係なくクリスマスを祝う国だからこそ、今日書いてみる。
ある勉強会で「国家意識を教育せよ」という話があった。
直感で「何だか危ない話だ」と思った人がいるかもしれない。
でも、そういう風に感じてしまうこと自体が、日本の病巣かもしれない。
今回の勉強会から、自分の考えたことをシェアする。
日本は危機的状況にある。
1000兆もの借金を抱える中の被災地復興、領土と自衛、国内の諸問題。
いつの時代も、問題は山積である。
しかし、だから子どもにどうこうできるかと言えば、できない。
大人にだってすぐに手が付けられないのである。
関心を持つことは大切だが、子どもに危機感を持たせても意味がない。
子どもは、安心させてやる必要がある。
安心させるには、守る存在が必要である。
では、子どもは誰に守られているのか。
当然、読んで字の如く「保護者」である。
多くは「親」だろう。
その親も、自分の暮らす地域社会に守られ、生活している。
地域社会も、市や県といった単位の大きな社会によって守られている。
では、県も含む大きな社会を守っているものは何か。
国、つまり国家である。
国家には「家」という字が入る。
家なのである。
英語でいえば、「ホーム」である。
帰るべき場所である。
誰しも、国家に守られている。
国家は、国民を愛し、守る。
国民も国家を愛し、守られる。
当然の関係である。
子が親を、親が子を愛するのは当然である。
こういう「当然のこと」がいくつかあり、そこが揺らぐと全てが崩れる。
だから、当然のことは当然なのである。
議論不要である。
子どもの通う「学校」という社会では、子どもは先生を敬い真剣に学び成長する。
それに対し先生は子どもを真剣に愛し教育する。
至極当然であり、その為の機関である。
(尊敬されるよう、教師は人一倍努力する必要があり、子ども側もそれに応える努力が必要だ。)
市政は市民を第一になされ、市民は市に税金を払い、自分の市や町を愛するため行動する。
お祭りなんかもその一つだろう。
互いに、真剣にやる。
どれもこれも当然のことである。
国民は国家を愛する。
どの国でも当然なされている教育である。
自分の国が嫌い・誇りを持てないというのは、自分自身への否定につながる。
世界の子どもの自尊心アンケート調査の結果が、それを如実に物語っている。
日本の子どもがそこで世界ダントツ最下位なのは、社会のせいである。
つまり、学校教育の責任である。
国を愛する心を育てる。
国家意識を教育する。
戦時中の「国のために死ね」という歪曲した愛国心教育とは、意味が違う。
純粋な、人間として当然の教育の意味としてである。
外国直輸入のクリスマスを祝いながらも、日本人としての誇りは持っていたい。
クリスマスを幸せに祝えるのも、日本国民だからこそである。
2012年12月24日月曜日
仕事術の要点「びっくりさせない」
このメルマガのタイトル「教育観と仕事術」に沿って、たまには仕事術の話を。
一緒に仕事をしていて、安心・信頼できる人はどういう人か。
一言で言うと、安定感のある人である。
本人の安定感があるので、周りの人も安心する。
予定などもよく頭に入っていて、先が見通せているから、メンバーも見通しを持てる。
逆に、疲れさせる人というのは、びっくりさせる人である。
どういう人かというと、いきなり「明日までにこれやって」と仕事を振る人である。
明日ならまだましで、締め切りが「今日」「今」という人もいる。
仕事だから、やむを得ず緊急対応になることもある。
いじめ問題の初期対応などはそうだろう。
しかし、そうでないものを、このようにふってはいけない。
特に「○○主任」と名の付く地位の人には、絶対の鉄則である。
例えば、何かの行事の準備が必要な場合。
職員会議の提案時に予定として盛り込むのが常識である。
いきなり今日とか明日とかいって動員するのはルール違反である。
(ちなみに、カタイことを言うと、校長以外の人間が勤務時間を過ぎての仕事を命ずるのは違法である。
しかしこれが職員会議で通っているのなら、校長の承認を得たのと同義である。)
いきなり言われた相手は、びっくりする。
退勤する予定だった人は、大抵用事が入っているものである。
(そうでなきゃ、だらだら残業しているはずである。)
しかし、仕事のことである以上、無視して帰る訳にもいかない。
悔しいが、従うことになる。
命じた側は鈍感で、大して感じていない。
「みんな真面目ないい人達だなぁ」ぐらいに思っている人もいるかもしれない。
残念ながらこういう人に仕えている人は、我慢するしかない。
対立すれば、余計苦しむことになりかねない。
本当は、もっと上の立場の人が諭してくれればいいのだが、そこは期待できない。
修行だと思って耐えるしかない。
もし自分が、人を使わねばならない立場なら、この「びっくりさせない」を徹底する。
そのためには、見通しである。
1週間は勿論、1ヶ月、1学期、1年と活動の見通しを持っておく。
例えば体育主任をやる時は、体育部員用に1年分の活動計画を一緒に提案する。
何月何日までに誰が何をするまで、第1回の体育部会で決める。
そうすることで、自分もメンバーも見通しを持てるし、予定が立つ。
また、予定を伝えたからといって、確認を怠ってはならない。
締め切り1週間前には「あれ、進んでる?」3日前には「できた?手伝おうか?」と声かけをしておくと確実である。
仕事を振られたメンバーは大変な思いで仕事しているのだから、リーダーはそれぐらいはすべきである。
1度予定を伝えたからといって、締め切り日になって初めて声かけするのでは、リーダー失格である。
びっくりさせていいのは、お化け屋敷やマジック、プレゼントのような、面白い、嬉しいびっくりだけ。
長くなったのでここまで。
特に何か命令する立場にある人には、必須の心構えである。
一緒に仕事をしていて、安心・信頼できる人はどういう人か。
一言で言うと、安定感のある人である。
本人の安定感があるので、周りの人も安心する。
予定などもよく頭に入っていて、先が見通せているから、メンバーも見通しを持てる。
逆に、疲れさせる人というのは、びっくりさせる人である。
どういう人かというと、いきなり「明日までにこれやって」と仕事を振る人である。
明日ならまだましで、締め切りが「今日」「今」という人もいる。
仕事だから、やむを得ず緊急対応になることもある。
いじめ問題の初期対応などはそうだろう。
しかし、そうでないものを、このようにふってはいけない。
特に「○○主任」と名の付く地位の人には、絶対の鉄則である。
例えば、何かの行事の準備が必要な場合。
職員会議の提案時に予定として盛り込むのが常識である。
いきなり今日とか明日とかいって動員するのはルール違反である。
(ちなみに、カタイことを言うと、校長以外の人間が勤務時間を過ぎての仕事を命ずるのは違法である。
しかしこれが職員会議で通っているのなら、校長の承認を得たのと同義である。)
いきなり言われた相手は、びっくりする。
退勤する予定だった人は、大抵用事が入っているものである。
(そうでなきゃ、だらだら残業しているはずである。)
しかし、仕事のことである以上、無視して帰る訳にもいかない。
悔しいが、従うことになる。
命じた側は鈍感で、大して感じていない。
「みんな真面目ないい人達だなぁ」ぐらいに思っている人もいるかもしれない。
残念ながらこういう人に仕えている人は、我慢するしかない。
対立すれば、余計苦しむことになりかねない。
本当は、もっと上の立場の人が諭してくれればいいのだが、そこは期待できない。
修行だと思って耐えるしかない。
もし自分が、人を使わねばならない立場なら、この「びっくりさせない」を徹底する。
そのためには、見通しである。
1週間は勿論、1ヶ月、1学期、1年と活動の見通しを持っておく。
例えば体育主任をやる時は、体育部員用に1年分の活動計画を一緒に提案する。
何月何日までに誰が何をするまで、第1回の体育部会で決める。
そうすることで、自分もメンバーも見通しを持てるし、予定が立つ。
また、予定を伝えたからといって、確認を怠ってはならない。
締め切り1週間前には「あれ、進んでる?」3日前には「できた?手伝おうか?」と声かけをしておくと確実である。
仕事を振られたメンバーは大変な思いで仕事しているのだから、リーダーはそれぐらいはすべきである。
1度予定を伝えたからといって、締め切り日になって初めて声かけするのでは、リーダー失格である。
びっくりさせていいのは、お化け屋敷やマジック、プレゼントのような、面白い、嬉しいびっくりだけ。
長くなったのでここまで。
特に何か命令する立場にある人には、必須の心構えである。
2012年12月22日土曜日
忘年会の意味
年の暮れ、忘年会シーズンである。
昨日やった学校も多いのではないかと思われる。
さて、忘年会とはどういう意味、意図を持って行われるものか。
一般的には「その年の労苦を忘れる」ためと解される。
辞書にもそう載っている。
しかし、職業人として、本当に労苦を忘れてしまってはいけない。
次に生かせず、「例年通り」になってしまう。
労苦や失敗は、成長の為に覚えておくものである。
つまり、その一年で、伝え忘れた相手への感謝の気持ちを、労いながら伝える会である。
愚痴大会ではなく、感謝大会である。
昨日やった学校も多いのではないかと思われる。
さて、忘年会とはどういう意味、意図を持って行われるものか。
一般的には「その年の労苦を忘れる」ためと解される。
辞書にもそう載っている。
しかし、職業人として、本当に労苦を忘れてしまってはいけない。
次に生かせず、「例年通り」になってしまう。
労苦や失敗は、成長の為に覚えておくものである。
私の好きな作家の一人である中谷彰宏氏は、何かの本で次のようなことを述べていた。
「忘年会は、忘れた感謝を伝える会だ」つまり、その一年で、伝え忘れた相手への感謝の気持ちを、労いながら伝える会である。
愚痴大会ではなく、感謝大会である。
そう考えると、年賀状も同じである。
疎遠になってしまっている相手に、あなたへの感謝の気持ちは忘れていませんよと伝える機会である。
そういう考えで臨むと、忘年会への参加姿勢も少し変わるかもしれない。
感謝の気持ちをきちんと伝え清算して、新しい年を迎えたい。2012年12月20日木曜日
サンタクロースってほんとにいるの?
子どもに、「先生、サンタっているの?」ときかれたら、どう答えるだろうか。
昨日、次の本を読み聞かせをした。
「サンタクロースってほんとにいるの?」
作 てるおか いつこ 絵 杉浦 範茂 福音館書店
子どもが問いを発し、父親がそれに答えるという形式でお話が進む。
たとえば、
「何で来ない家があるの?」
「それはね、病気の子どもの家で、話し込んでいたからじゃないかなぁ」
というような感じで、子どもの素朴な疑問に父親が答えていく。
見開きの左が問い、右が答えのページなので、私は右半分を紙で隠しながら読み聞かせをした。
その後に「サンタを見たことがある人?」ときくと、誰も見たことがないとのこと。
続いて、
「見えないものは存在しないのか?」
「自分が見たことがないものは存在しないのか?」
と問いかけた。
子どもからは「空気は見えないが、ある」「恐竜は誰も見たことがないが、存在したらしい」
というような意見が出た。
私は「他人の気持ちは?」「今考えていることは?(思考)」
「地球が回っていることは?」「宇宙の果ては?」
というようなことも付け加えた。
要は、「自分が『知識』として知っているか」どうかでしかない。
自分の目で確認したかどうかは、問題にならない。
常識なんて、そのレベルである。
だから、昔は地球の周りを天体が回っていた。
今だって、本当に地球が回っているのか、私は直接見たことがない。
真実は、目で見てもわからない。
見たからわかるものではないし、見てないからわからないものでもない。
最後に、次の詩を読んだ。
「星とたんぽぽ」 金子みすず
著作権の関係で、詩の全文は載せられない。
ここでは「昼の月」と「根」について書かれている。
この詩が伝えたいことは、また違うような気もするが、見えないものが大切で、つよく存在する、ということは同じだろう。
サンタがいるかいないかということで討論しても、不毛である。
宗教上の問題にもなるかもしれないので、そこはあえて突っ込まない。
しかし、信じる、信じないは、その人が幸せな方を選択すればよい。
子ども達が幸せなクリスマスを迎られたらいいなと思う。
昨日、次の本を読み聞かせをした。
「サンタクロースってほんとにいるの?」
作 てるおか いつこ 絵 杉浦 範茂 福音館書店
子どもが問いを発し、父親がそれに答えるという形式でお話が進む。
たとえば、
「何で来ない家があるの?」
「それはね、病気の子どもの家で、話し込んでいたからじゃないかなぁ」
というような感じで、子どもの素朴な疑問に父親が答えていく。
見開きの左が問い、右が答えのページなので、私は右半分を紙で隠しながら読み聞かせをした。
その後に「サンタを見たことがある人?」ときくと、誰も見たことがないとのこと。
続いて、
「見えないものは存在しないのか?」
「自分が見たことがないものは存在しないのか?」
と問いかけた。
子どもからは「空気は見えないが、ある」「恐竜は誰も見たことがないが、存在したらしい」
というような意見が出た。
私は「他人の気持ちは?」「今考えていることは?(思考)」
「地球が回っていることは?」「宇宙の果ては?」
というようなことも付け加えた。
要は、「自分が『知識』として知っているか」どうかでしかない。
自分の目で確認したかどうかは、問題にならない。
常識なんて、そのレベルである。
だから、昔は地球の周りを天体が回っていた。
今だって、本当に地球が回っているのか、私は直接見たことがない。
真実は、目で見てもわからない。
見たからわかるものではないし、見てないからわからないものでもない。
最後に、次の詩を読んだ。
「星とたんぽぽ」 金子みすず
著作権の関係で、詩の全文は載せられない。
ここでは「昼の月」と「根」について書かれている。
この詩が伝えたいことは、また違うような気もするが、見えないものが大切で、つよく存在する、ということは同じだろう。
サンタがいるかいないかということで討論しても、不毛である。
宗教上の問題にもなるかもしれないので、そこはあえて突っ込まない。
しかし、信じる、信じないは、その人が幸せな方を選択すればよい。
子ども達が幸せなクリスマスを迎られたらいいなと思う。
2012年12月18日火曜日
「嫌な人」は「嫌な役割」の人
「嫌だな」または「苦手」と思われている人がいるとする。
この意識はどこからくるのか。
これは、自分の苦手なもの、避けたいものを持っている人である。
管理職が嫌な場合。
権力に弱いのかもしれない。
または、自分が上に立ちたいのかもしれない。
口うるさい人が苦手な場合。
自分がだらしない面があるのかもしれない。
自分の中に、本当は良くないと思っている面があるのかもしれない。
苦手な人というのは、要は「痛いところ」を突いてくる相手である。
劣等感を暴かれる。
相手に正当性があるほど、やり場がなく、憎しみがわくという面もある。
発想を転換する。
その人は、「嫌な役割」を自分の代わりにもっている人かもしれない。
または、自分の中の直すべき面を、教えてくれている人かもしれない。
学級担任で考えてみる。
いつも優しくて、何をしてもにこにこして受け容れてくれるA先生。
規則に厳しく、悪いことは見逃さないB先生。
A先生は、母性が強く、B先生は、父性が強いともいえる。
自分は、どちらに近いだろうか。
そして、自分は逆の立場を任されたら、うまくやれるだろうか。
恐らく、ほとんどはうまくいかないはずである。
人にはそれぞれ適性があり、役割がある。
「悪役のいない芝居じゃ、誰も見ませんわな」とは、松下幸之助氏の言である。
光と闇は、セットである。
表と裏は、切り離せない。
必ず、逆の役割が必要である。
その「嫌な部分」を、担当してくれている人かもしれない。
いつも他の職員に率先して子どもを叱っている生徒指導の先生は、大変である。
その先生は、恐れられる。
子どもから見たら「嫌な人」の役割を担う。
(一方で、「信頼できる」という評価がつくこともある。)
そして、その先生がいなければ、どうなるかも想像がつく。
泥をかぶる人が、必要だ。
さらに、その後フォローをする役割の人も必要である。
何でも、見方次第である。
この意識はどこからくるのか。
これは、自分の苦手なもの、避けたいものを持っている人である。
管理職が嫌な場合。
権力に弱いのかもしれない。
または、自分が上に立ちたいのかもしれない。
口うるさい人が苦手な場合。
自分がだらしない面があるのかもしれない。
自分の中に、本当は良くないと思っている面があるのかもしれない。
苦手な人というのは、要は「痛いところ」を突いてくる相手である。
劣等感を暴かれる。
相手に正当性があるほど、やり場がなく、憎しみがわくという面もある。
発想を転換する。
その人は、「嫌な役割」を自分の代わりにもっている人かもしれない。
または、自分の中の直すべき面を、教えてくれている人かもしれない。
学級担任で考えてみる。
いつも優しくて、何をしてもにこにこして受け容れてくれるA先生。
規則に厳しく、悪いことは見逃さないB先生。
A先生は、母性が強く、B先生は、父性が強いともいえる。
自分は、どちらに近いだろうか。
そして、自分は逆の立場を任されたら、うまくやれるだろうか。
恐らく、ほとんどはうまくいかないはずである。
人にはそれぞれ適性があり、役割がある。
「悪役のいない芝居じゃ、誰も見ませんわな」とは、松下幸之助氏の言である。
光と闇は、セットである。
表と裏は、切り離せない。
必ず、逆の役割が必要である。
その「嫌な部分」を、担当してくれている人かもしれない。
いつも他の職員に率先して子どもを叱っている生徒指導の先生は、大変である。
その先生は、恐れられる。
子どもから見たら「嫌な人」の役割を担う。
(一方で、「信頼できる」という評価がつくこともある。)
そして、その先生がいなければ、どうなるかも想像がつく。
泥をかぶる人が、必要だ。
さらに、その後フォローをする役割の人も必要である。
何でも、見方次第である。
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