2022年10月2日日曜日

先回りは問題を拵える

トラブルを予防することは必要である。

ある程度は予防しないと、発生数が多すぎるからである。

逆に、安定している状態の時は、敢えて予防しないという選択肢をとることもある。


予防はいいのだが、先回りはいけない。


何が違うのかというと、予防は、明らかに起きることに対し、事前に手立てを打っておくことを指す。

彫刻刀を例にすると、「左手は絶対に刃物より後ろ」という大原則の指導をせずに使わせれば、大怪我につながる可能性が高い。

これは予防しておくべきことである。


一方で先回りとは、勝手な想像(妄想)をして、それを問題に拵えてしまうことである。

人間関係でよくありがちなので例を出す。

「あの人は私を嫌っている」と勝手に捉えて、その人に近づかない、冷たい態度をとるといったことである。

学校の例だと「このままだと非行に走る」と考えて、あらゆる細かいことを規制するといったことである。


予防は、愛情ベースである。

相手の幸せを思い、行う。

風邪をひかないように、お腹を暖かくして寝なさいといったことである。

先の彫刻刀の例も、楽しく創作活動を続けられることを願ってのことである。


先回りは、恐怖ベースである。

恐怖による悪い想像を回避するために行う。

(あり得ないほど最悪の事態を想定するのは、生存本能の得意分野である。)

一見、相手の幸せを願っているように思うが、個人的に勝手な想像をしているところが全く違う。


教育においては、先回りをしないことである。

子どもの将来の夢を聞いて「そんなことは現実的でない」「社会で通用しない」とアドバイスすることなどは、この代表格である。

頭の中で「就職できない」→「生活できない」→「生活破綻者」という妄想が暴走している状態である。

起きるかどうか全くわからないような問題を、勝手に拵えているのである。


ただし、何でも楽観的に捉えて信じればいいという単純なものではない。

ことICTについては、予防が必要である。

なぜなら、事実としてSNSやインターネットを介しての青少年トラブルが多発しているからである。

(教育委員会への子どもの相談の最も多いものがLINE等を介したSNSトラブルだそうである。)


明かに危険と分かり切っていることに事前の手を打たないのは、子どもの自由の名を借りた怠惰・放任である。

それは例えるなら、知識も装備もなく、初の山登りをさせるようなものである。

刃物やICT、あるいは車の運転のように、便利で強力なものほど、同時に危険度も高いのである。


予防をする。

先回りはしない。

自治的な学級経営を目指す上においての、基本的な心構えの一つである。

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