2021年5月18日火曜日

それぞれのタレントを生かす・尊重する

 時間があったのなら、学級懇談会で本当はしたかった話。

(全く足りなかったために、しなかった。)


「タレント」ときいて、何を思い浮かべるか。

テレビなどに出る有名人を思い浮かべる人が多いと思われる。


「タレント」(talent)とは、才能のことである。

語源としては、もともと貨幣の単位である。


聖書の中に「タレントのたとえ」という話がある。

ある人が旅立つにあたり、自分の3人のしもべに対し、留守中にとそれぞれ次のお金を渡した。

Aには5タレント、Bには2タレント。Cには1タレントである。


この人は旅から戻ると、しもべに渡したお金を清算するよう言った。


Aは5タレントを10タレントに増やして返してきた。

大いにほめた。


Bは2タレントを4タレントに増やして返してきた。

同じく大いにほめた。


Cは1タレントを「なくさないように」と土中に大切に埋めていた。

掘り返してそのまま1タレント返した。

これには「怠け者め。けしからん」と叱った。


このたとえ話には、才能というものに対する教訓が多く込められている。


Aは、人が羨む優れた才能の持ち主である。

そして、その才能を十分に生かし、元の倍にした。


Bは、Aほどの才覚はなくとも、堅実にその才能を生かした。

そして、きちんと元の額の倍にした。


AとBは同様にほめられる。

タレント(才能)を、元の倍にしているからである。


Cが叱られたのは、額の小ささではない。

与えられたタレント(才能)を生かさなかったことに対してである。

もしCが努力してそれを生かし、倍の2タレントにしていれば、同様に大いにほめられたはずである。


AとBとCのもつタレント(才能)自体を比べることは無意味である。

初期に与えられた額も違う。

問われるのは、それぞれの中でどれだけ伸ばせたかという点である。


誰かと比べて出来不出来を責めるのは、無意味どころか有害でしかない。

求めるべきは、もてる力を精一杯生かしているかという点である。


さらに考えるべきは、タレントというのはあくまで与えられたものだということ。

最初から自力で獲得したわけではなく、有難く与えられたものだという自覚をもつことが重要である。


子どもたちそれぞれのもつタレント(才能)は、全く違う。

たとえ話はわかりやすくしただけで、実際は種類も別で、金額の多寡で決まるものですらない。

種類も全く違うということは、比較もできない。

学問系で発揮する子どもいれば、運動系で発揮する子どももるし、芸術系で発揮する子どももいる。

それぞれのもつタレント(才能)を最大限に伸ばすことに全力を尽くしたい。


タレント(才能)という面から見れば、知識や技能の伸びは、それぞれなのである。

論理的にどう考えても、一律にいくはずがない。

全員に教えることができるのは、心構えぐらいである。


自分のもつ才能を最大限に発揮しようと努めること。

それは、他人の才能を尊重することにもなる。

学級という偶然の集団においては、お互いを比べるではなく、お互いを「いいね」と言い合える関係を作っていく。

学級ではそういうことをこそ教え、求めていきたい。

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