2021年5月22日土曜日

上手くやるより大切なことをやる

 以前からメールやオンラインで、学級経営についての相談をよく受ける。

全国の先生の悩みを聞いていて、共通項として気付いたことがあるので記す。


私自身も学級経営上「失敗」が多い。

ポジティブに捉えると挑戦が多いともいえるが、「失敗」はやはり、その時は強烈に痛い。


私が過去そういう状況に追い込まれる時、指導される上の立場の人に、幾度も言われてきた言葉がある。

それが

「もっと上手くやれ」

である。


とてもではないが上手くやれないような状況に陥った学級を引き継いだ年ほど、よく言われる。


子どもが最初から落ち着かない状態だと、問題もよく起きる。

そうなると、子どもや保護者に対し、厳しいことも言わなくてはならない状況になる。


例えば学級や学年内で、傍若無人に振舞っている子どもが複数いるとする。

荒れている学級を知っている人なら、その状況はすぐに想像がつくと思う。

放っておけば、本人の成長はもとより、周りの子どもの成長にとっても良くない結果が目に見える。


当然、指導すべき事項がたくさん出る。

「前の担任のように優しく」なんてやっていられない状況も多くなる。

その状況下での子どもの「優しい」は単に「甘い」を取り違えているだけである。

無秩序を許し、成長をないがしろにするなら、無限に甘くできる。


真剣にやると、諸問題に正対することになる。

そうなると、自分自身が傷つく覚悟も必要になる。

そうでないとしたら、とっくに状況は改善されているはずだからである。


それまでが、傷つくことを恐れて、避けてきたからこそ、子どもが荒れに荒れているのである。

さらに一部の保護者が、言いたい放題になっていることもある。

しかしそれは、実は子どもや保護者の責任ではない。

そのように育てた責任は、担任はもちろん、学校全体にこそある。


そして、それをどうにかしてくれと、みんな引き継ぐわけである。

「問題は多いけど、あなたの力でどうにかしてくれ」と、懇願されてもらうわけである。

これは全国共通の現象のようである。

(特にひどい学校の場合は、何も知らない初任者や転任者にそれを任せる。)


一旦もらったら「あとはあなたの責任」と掌を返される。

これは校務分掌の引継ぎでも〇〇主任でもなんでも共通の現象である。

その後はどんな困難でも「もっと上手くやれ」である。


この場合に求められる「上手くやる」とは、摩擦を起こさないようにすることである。

大抵は、相手にヘリ下り、なだめるような方法である。

これで、「上手くいく」ことが多いので、それを求められる。


しかし、問題の本質はそれでは変わらない。

「上手くやる」の連続の結果、傍若無人で嫌がられる人になってしまった子どもや保護者への結果の責任は、誰がとるのか。


「言うべきは言う」をチームで行っていかない限り、問題の根本的解決には繋がらない。

それは、対子ども、対保護者といった範囲の話だけではない。

普段の同僚同士や、対上司、対管理職といった組織内同士の関係でも同じである。

内部から腐っていったら、もう手の施しようがない。


「上手くやれ」を命じる人は、その場しのぎの利己的な人間である。

本質を考える人はいないし、あなた自身を大事に思ってくれることもない。

人間的な温かみのある本物の人物なら、それとは真逆のことを言う。


やはり「いい学校」には、爽やかな風が吹いている。

風通しがいいのである。

人間関係も「上手くやる」よりも「言うべきことを言う」ができている。


職員会議や校内研究会をすれば、安易な賛成やお世辞の言葉よりも、建設的な意見が飛び交う。

同僚への正しくない扱いや、校内での不正行為があれば、それはやめようと堂々と注意し合える。

経験年数や立場に関係なく、言いたいことを言い合える。

そうやって、風通しの良い職場は作られていく。


私の場合「上手くやる」なんて、到底できない。

元来、やることが泥臭くて鈍くさくて、下手くそなのである。

しかし「何が大切か」という本質だけは、わかる。


みんな、それぞれ悩みを抱えている。

全国の全力で日々を戦っている仲間に、正しくあり苦しんでいるのは、あなただけではないというエールを送りたい。

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