私は子どもの頃から、トランプやオセロなどのゲーム、勝負が大好きだった。
親にはいつも勝てないので、必死にやり方を探った。
どのゲームにおいても、勝つためには、ある程度の基本的な戦略、セオリーがある。
サッカーのようなスポーツにおいても同様だが、フォーメーションやポジションなどは、基本的な戦略である。
(幼児がやるサッカー遊びのように、全員フォワード状態になってしまったら、通常は勝ち目がない。)
例えば、オセロをする。
オセロでは「ここに置いたら危険」「ここに置くと有利」という場所がある。
わかりやすいのが、角である。
角は絶対に挟まれないために、ひっくり返されないから、ぜひ押さえたいところである。
その角をとるためには、ここに置かない方がよい、あるいはここに置くとよいというのがある。
ここはセオリーとして知っているかどうかで、これらを知らないと、勝ち目は薄い。
一方で、角をとられても大丈夫という方法もある。
それは、角の重要性や強みを知っているからこそとれる方法である。
将棋などになると、この戦略が一気に複雑になる。
特に「ここにこう置いたら危険」というのが、はっきりとある。
セオリーを一通り知っている相手に対し、こちらが知らないとなると、まず勝ち目がない。
さて、これらはゲームという場に限らない。
実際の社会生活の中でも、セオリーはある。
例えばあいさつなど、良好な人間関係を築く上でのセオリーともいえる。
「人の悪口を言う」「わがままな文句を言う」などは、「危険」「下手うち」の最たるものである。
学級経営にもある程度のセオリーはある。
特に「これをやってはいけない」ということには、かなり汎用性がある。
今年の新著「スルーorリアクション」は、特にそこに着目して書いた本である。
宣伝が軽く挟まったが、ここは本当に重要なポイントである。
まずセオリーを押さえておくこと。
これがあって、初めて個々の対応が可能になる。
最初から「無手勝流」では、余程の天才でない限り、学級が混乱すること必至である。
学級経営のセオリーとして、何度も書いているが、まず子どもの「聞く力」を身に付けることである。
毎度紹介している師の野口芳宏先生の言葉だが「学力の根本は聞く力」である。
「話す力」がしっかりつくのは、ずっとずっと後でもいい。
話すのは、たどたどしくてもいい。
書くのが下手でもいい。
読むのも、少しずつでいい。
それよりも、まずは話を聞く姿勢がとれることが最重要である。
これは、「それがなかったらどうなるか」を考えればすぐにわかる。
話せない子どもが多い学級。
書けない子どもが多い学級。
読めない子どもが多い学級。
聞けない子どもが多い学級。
・・・
どれが一番大変か。
どれはとりあえず大丈夫か。
「〇〇できなくて学級崩壊」になりそうなのはどれか。
学級担任を3日も経験していれば、すぐにわかる話である。
(指導の優先順位はそうやって考えていけばいいといのも、一つのセオリーである。)
まずセオリーをおさえる。
当たるも八卦当たらぬも八卦では、プロとはいえない。
教育書を読んで勉強する価値は、そこにこそある。
そうやってセオリーを押さえた上で、初めてセオリーでは対応できない相手のことを考えることができる。
「個別最適な学び」を考えられる。
学級経営においては、まず何をおいても、セオリーを学ぶことである。
0 件のコメント:
コメントを投稿