2021年5月20日木曜日

学級経営のセオリーを押さえる

 私は子どもの頃から、トランプやオセロなどのゲーム、勝負が大好きだった。

親にはいつも勝てないので、必死にやり方を探った。


どのゲームにおいても、勝つためには、ある程度の基本的な戦略、セオリーがある。

サッカーのようなスポーツにおいても同様だが、フォーメーションやポジションなどは、基本的な戦略である。

(幼児がやるサッカー遊びのように、全員フォワード状態になってしまったら、通常は勝ち目がない。)


例えば、オセロをする。

オセロでは「ここに置いたら危険」「ここに置くと有利」という場所がある。

わかりやすいのが、角である。

角は絶対に挟まれないために、ひっくり返されないから、ぜひ押さえたいところである。


その角をとるためには、ここに置かない方がよい、あるいはここに置くとよいというのがある。

ここはセオリーとして知っているかどうかで、これらを知らないと、勝ち目は薄い。


一方で、角をとられても大丈夫という方法もある。

それは、角の重要性や強みを知っているからこそとれる方法である。


将棋などになると、この戦略が一気に複雑になる。

特に「ここにこう置いたら危険」というのが、はっきりとある。

セオリーを一通り知っている相手に対し、こちらが知らないとなると、まず勝ち目がない。


さて、これらはゲームという場に限らない。

実際の社会生活の中でも、セオリーはある。

例えばあいさつなど、良好な人間関係を築く上でのセオリーともいえる。

「人の悪口を言う」「わがままな文句を言う」などは、「危険」「下手うち」の最たるものである。


学級経営にもある程度のセオリーはある。

特に「これをやってはいけない」ということには、かなり汎用性がある。

今年の新著「スルーorリアクション」は、特にそこに着目して書いた本である。


宣伝が軽く挟まったが、ここは本当に重要なポイントである。

まずセオリーを押さえておくこと。

これがあって、初めて個々の対応が可能になる。

最初から「無手勝流」では、余程の天才でない限り、学級が混乱すること必至である。


学級経営のセオリーとして、何度も書いているが、まず子どもの「聞く力」を身に付けることである。

毎度紹介している師の野口芳宏先生の言葉だが「学力の根本は聞く力」である。


「話す力」がしっかりつくのは、ずっとずっと後でもいい。

話すのは、たどたどしくてもいい。

書くのが下手でもいい。

読むのも、少しずつでいい。

それよりも、まずは話を聞く姿勢がとれることが最重要である。


これは、「それがなかったらどうなるか」を考えればすぐにわかる。


話せない子どもが多い学級。

書けない子どもが多い学級。

読めない子どもが多い学級。

聞けない子どもが多い学級。


・・・

どれが一番大変か。

どれはとりあえず大丈夫か。

「〇〇できなくて学級崩壊」になりそうなのはどれか。

学級担任を3日も経験していれば、すぐにわかる話である。

(指導の優先順位はそうやって考えていけばいいといのも、一つのセオリーである。)


まずセオリーをおさえる。

当たるも八卦当たらぬも八卦では、プロとはいえない。

教育書を読んで勉強する価値は、そこにこそある。


そうやってセオリーを押さえた上で、初めてセオリーでは対応できない相手のことを考えることができる。

「個別最適な学び」を考えられる。


学級経営においては、まず何をおいても、セオリーを学ぶことである。

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