2021年5月26日水曜日

子どもの背景を見抜く

 教育における根幹的な関心事の一つに、家庭内の虐待がある。


虐待というと語感が強烈だが、実際普通のどこの家庭でもあるような類のものである。


最近よく社会問題になっているのは、教育虐待である。

Wikipediaによれば

「教育熱心過ぎる親が過度な期待を子どもに負わせ、思うとおりの結果が出ないと厳しく叱責してしまうこと」

とある。


例えば子どもに習い事や勉強をさせすぎるという問題で、これらに関する書籍も様々に出ている。


一方真逆で、全く無関心という場合の虐待もある。

世話を一切しないという点での虐待である。


どちらのタイプにも共通しているのが「大人の自己都合」という点である。


人間の根本には自己愛があるのだから、自分優先自体は構わない。

それは大人でも子どもでも同じである。

しかしそれが行き過ぎて、他人に「私を優先しろ」「私のために生きろ」と求めるようになると、大きな問題である。

それはたとえ相手がわが子であっても同様である。


親の人生は親の人生だし、子どもの人生は子どもの人生である。

そこは分けて考える必要がある。

子どもの自立の前に、親の自立が先である。

(子ども自身がその異常さに気付いて、さっさと自立していってしまうパターンの方が多いかもしれない。)


つまり、他責的で依存的とは、こういった異常状態である。

だからそうさせないために、子どもにも、主体性を求めていく。

決して他責的で依存的な人間に育ててはいけないのである。

教育の全ての場面において、自分で選択し、責任をとっていける態度を育成していく必要がある。


ともあれ、小・中学生ぐらいまでの子どもは力も立場も弱い。

明らかに間違った大人が相手であっても、従うしかないし、それが普通だと思い込まされる。


そういうことには、外部が気付いてケアしてあげるしかない。

近所でトラブルに気付いてくれる人がいるとは限らない。

そうなると、一番近くにいる気付く可能性をもっているのは、各学校の先生たちである。


子どもの背景まで観察し、見抜く。

家庭訪問や教育相談などをする機会のある時期には、特にそういった観点で子どもを見ていくことも必要である。

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