教育における根幹的な関心事の一つに、家庭内の虐待がある。
虐待というと語感が強烈だが、実際普通のどこの家庭でもあるような類のものである。
最近よく社会問題になっているのは、教育虐待である。
Wikipediaによれば
「教育熱心過ぎる親が過度な期待を子どもに負わせ、思うとおりの結果が出ないと厳しく叱責してしまうこと」
とある。
例えば子どもに習い事や勉強をさせすぎるという問題で、これらに関する書籍も様々に出ている。
一方真逆で、全く無関心という場合の虐待もある。
世話を一切しないという点での虐待である。
どちらのタイプにも共通しているのが「大人の自己都合」という点である。
人間の根本には自己愛があるのだから、自分優先自体は構わない。
それは大人でも子どもでも同じである。
しかしそれが行き過ぎて、他人に「私を優先しろ」「私のために生きろ」と求めるようになると、大きな問題である。
それはたとえ相手がわが子であっても同様である。
親の人生は親の人生だし、子どもの人生は子どもの人生である。
そこは分けて考える必要がある。
子どもの自立の前に、親の自立が先である。
(子ども自身がその異常さに気付いて、さっさと自立していってしまうパターンの方が多いかもしれない。)
つまり、他責的で依存的とは、こういった異常状態である。
だからそうさせないために、子どもにも、主体性を求めていく。
決して他責的で依存的な人間に育ててはいけないのである。
教育の全ての場面において、自分で選択し、責任をとっていける態度を育成していく必要がある。
ともあれ、小・中学生ぐらいまでの子どもは力も立場も弱い。
明らかに間違った大人が相手であっても、従うしかないし、それが普通だと思い込まされる。
そういうことには、外部が気付いてケアしてあげるしかない。
近所でトラブルに気付いてくれる人がいるとは限らない。
そうなると、一番近くにいる気付く可能性をもっているのは、各学校の先生たちである。
子どもの背景まで観察し、見抜く。
家庭訪問や教育相談などをする機会のある時期には、特にそういった観点で子どもを見ていくことも必要である。
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