以前に引用した次の本からの気付き。
『愛と祈りで子どもは育つ』
渡辺和子 著 PHP文庫(2017)
https://www.amazon.co.jp/dp/4569767672
この本の中に
「マイナスとマイナスはプラスになる」という言葉がある。
心の平和を得るには「ダブルの損」が必要とのことである。
あいさつをしたのに返されない。
それだけでも腹が立つ。
しかしその無礼を許すだけでなく、次の機会にこちらから「おはよう」と声をかける。
これで初めてプラスになるという。
全くその通りである。
学校というのは、言うなれば不完全だからこそ来る場である。
あらゆることに「マイナス」な反応が通常である。
授業であれば、問に対し「正解」が返ってこないことが前提である。
こちらの「こう答えるだろう」に対し、全く見当違いの答えが返ってくる。
それを「なるほど」「面白い」と返せるかどうかで、結果がプラスに転じるかマイナスのままかが決まってくる。
あらゆることにいえる。
生きていれば不快なこと、嫌なことはたくさんある。
それが「起きないように」と願っていても、必ず起こる。
「よし、やっぱり起きたぞ」と事前に構えていれば、準備もできるし前向きに対処できる。
あいさつについて、よく子どもたちへ話していることがある。
「あいさつは、基本的に返ってこないと考えてこっちからするとよい」ということである。
下手に「あいさつ運動」などをやると「返さない!」と憤る子どもが結構いるからである。
(人が他人を批判して憤る時、自分を振り返る視点をもてないのが辛いところである。)
「あいさつ運動」を本気でやるなら、雨の日も風の日も交差点に毎朝立ってくださっている方たちぐらいの意思と継続力が必要である。
存在そのものに対してもそうである。
何を言ってもマイナスな反応ばかりの子どもがいる。
あるいは、不適切で嫌な言動を積極的にとる子どもがいる。
自己肯定感が地の底にいる子どもたちである。
これに対し「どうしようもない」と切り捨てることは簡単である。
一方で「だからこそ自分が役立つ」と思い、ダブルの損を受けて耐え、与え続ける人だけが、プラスの結果を残す。
結局、損なことを損だと思わずやれるかどうかにかかっている。
掃除への態度などは、この辺りを端的に表す。
自分の手が汚れる、面倒だと嫌々やるか、汚いからこそ自分がきれいにできると意気揚々とやるか。
掃除が好きな人は、自分だけが一生懸命やることを全く損だと思っていない。
(だから、掃除には非常に高い教育効果があるが、意味を感じられない人にはより大きなマイナスかもしれないとも思う。)
正しいことに正しく返ってこないことを認める。
損をして、さらに損をすることで、得るものを生み出す。
これができるのは、自らを満たしている人だけである。
満ち足りていない状況の人は、求めてしまうからである。
マイナスとマイナスでプラスの結果になる。
嫌なことや辛いことが続く時には、心の支えにしたい考え方である。
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