2021年4月18日日曜日

教えるか体得か

 子どもたちには、主体的に学んで欲しいと願う。

できれば、受け身の姿勢で無理にやらせることは避けたい。

教える側からすれば、当たり前の願いである。


しかしながら、全てが主体的にいくはずがない。

やりたがらないこともある。

最初は渋々ながらも、あるいは全く興味なかったことでも、やっている内に好きになることもある。

逆に、やればやるほど嫌いになることもある。


これは、スルーかリアクションかの判断についてと関連する。

無理にやらせないで流してしまうべきか

大変でも辛くても課題として取り組ませるべきか

という違いである。


学びの段階でいえば、大学での学びは、完全に主体的に選択したものであることが望ましい。

学部まで自分で選んで入ったのだから、当然そうあるべきである。

(しかしながら、実情が必ずしもそうでもないということは、承知である。)

教える側からすれば、基本的に求めてこない限りスルーが多めになる。


逆に、小中学校というのは、とにかく幅広く様々なものにふれる時期である。

「知らないからやらない」「できないからやりたくない」を認め続けることが必ずしもいい時期ではない。

試しにやってみる、チャレンジしてみるということが大切な時期である。

教える側からすれば、基本的にこちらからの促しやリアクションが多めになる。


さらにこれは、

人から教えてもらった方がいい段階

自分で失敗しながら学んだ方がいい段階

の違いへの意識でもある。


一番最初は、とにかくふれる段階。

何だかわからないけどいじって遊んでいるような状態である。

例えば赤ちゃんがやたらと口にものを入れる段階である。

初めてパソコンにふれる時などもこれである。

学校でもこれから随時一人一台PCが配付されていくが、まずはさわって遊んで経験するところからである。


もう少しすると「できない」「わからない」ということが起きてくる。

「できない」「わからない」は、何か目的意識をもった時に初めて登場する。

克服のために教わりたいという必然性が生まれるので、教えることができる。


本当の初心者は、そういう意味で教えやすい。

初めてで何もわからない分まっさらで、教わる時にも自然と謙虚になりやすい。

予習や早期の詰め込み学習の弊害はここにあり、生わかりしていると、態度だけでなく理解も悪いことが多々ある。

(先に誤った手順で覚えると、「消してから書き直す」分、修正に無駄な労力と時間がかかる。

漢字の書き順や各種フォームなども同様である。)


現在の小学校段階の教育では、興味づけに問題の一面があるといえる。

常にやることを教わって点数を追う形だと、短期的には成果が出るが、そこにしか目が向かなくなる。

「学ぶ=楽しい」という基本中の基本が抜けてしまい、中長期的に見ると残念な結果になる。


また、失敗を通して克服し、自ら体得していく経験も大切である。

教える側からは失敗がわかっていても、敢えてスルーすることがある。

本人が「これぐらいで大丈夫」と見積もりを甘くして、十分な準備をしない時である。

これは、「痛い経験」をしてみないと本質的に学ばない。

危険物や障害物を大人が都度全て取り除いてしまっていては、学べないことがある。


逆に「このままだと失敗する」とわかっている場合に、きちんとフォロー、リアクションしていく時もある。

それは、失敗させない方が中長期的に見てよいと判断される時である。

例えば、完全に自信喪失している状態なら、失敗させない方がいい。

あまりに危険な場合も同様で、失敗した後に立ち上がれない状態になりそうな場合は、事前に教えて助けてあげるべきである。


そして現在の小学校周辺の段階の様子を見ると、「教えてあげすぎ」の傾向が強いように思う。

求めていないことを大人の都合で無理にやらせてみたり、転ばないように常に先回りしている傾向が見られる。


小学校段階だからといって、やたらと教えればいいというものでもない。

ほどよく失敗も経験して、自分で選ぶことも大切である。

逆に、教えるべき段階でも教えずに、ただ放置していても当然学べないので、そこのバランス感覚こそが大切である。


まず、題材を提示してみるところで、一仕事。

その後「どうしたい?」と問いかけて、様子を見る。

大体この辺りが授業でも生活指導でも何でも基本型になるのではないかと思っている次第である。

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