時期がずれてしまったが、 年度末の通知表の時期に書いた記事。
指導と評価について。
「指導と評価の一体化」が大切とよく言われる。
よくよく考えると、当たり前のことである。
指導というのはある一定の目標を指して導くものである。
(支援とは違う。)
目標の方向へ向かっていればよし、そうでなければ修正が必要である。
この時、指し示した方へ進んでいれば、高く評価される。
高く評価されることで、これでよかったのだとわかり、安心してますますそちらの方へ進む。
評価が低かった場合、「そっちじゃないですよ」というメッセージを受け取る。
修正をせねばならないとわかり、努力の量や方向が変わる。
指導された方向に従って努力したはずなのに、低く評価されたと感じる子どもがいたとする。
この場合、努力の量が足りなかったのか、方向がよくないのか、指導者側が示す必要が出る。
逆に、指導された方向へ努力しなかったのに高く評価されたとする。
これは混乱する。
がんばっていないのに「よくがんばったね」と褒められる。
「こんな程度でいいのか」あるいは「見てないな」と感じる。
これにより、低い方向へ導かれることになる。
つまり、指導と評価の一体化とは、指導したことに正対した評価をするということである。
よい評価の方向が指導の方向を決めるともいえる。
評価をされる方向に子どもが伸びるといもいえる。
(多分、会社などでもこれは同じではないかと思う。)
評価が誤っていると、子どもの成長はあらぬ方向に向かうことになる。
例えば「人に優しくしましょう」と指導しているのなら、それをしている人を高く評価する必要がある。
とにかく高い個人パフォーマンスを発揮して周りを無視して進んでいく子どもを評価していれば、人を気遣う優しさよりそれが正しいのだと認識される。
だから、指導と評価は一体化というより、本来両者は不可分である。
通知表をつけていて、伸びたと感じたなら、指導と評価が正しく機能していたといえる。
子どもの通知表への評価は、指導者自身の指導への評価そのものである。
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