2020年10月20日火曜日

大人は子どもより偉いか

 かの松下幸之助氏は

「周りのみんなが自分より偉くみえるから、ぼくは素直に人にものを頼める」

と常々話していたという。


また「身体が弱かったことが強み」というようなことも言っている。

自分の身体が弱いから、人に頼まざるを得なくなり、結果的にその人が良い成果を出してくれる。


これは経営者としての話である。

しかしながら、これは学級を運営する立場の教師にとっても、大変有益な考え方である。


同じ発想で、子どもにも対する。

つまり、自分一人の力よりも、子ども集団の方が力がある。

このことをまず認めることである。


また、目の前にいるのは子どもであるが、子どもが大人よりも優れていないという訳ではない。

たまたま、自分の目の前に子どもとしているだけである。

私はよく冗談半分、本気半分で

「目の前にいる子どもは、将来口をきいてもらえないぐらいになる人かもしれない」

と考える。


授業で行き詰まる。

これは、困る。

しかし、子どもたちに委ねると、上手く料理してくれることが結構ある。

教師が必死に掴んで離さないから、子どもは手出しできないだけなのである。


自分が一生懸命やっていると、疲れる。

年齢を重ねると、ますます疲れるようになる。

疲れる割に、子どもには全く力がつかない。

だから、子どもがやれることは、全部子どもに任せる。


子どもは、かなりの運動量を求めても、なかなか疲れない。

多分、子どもが疲れているのは、そういったものとは全然違う別のことである。

(高学年だと「塾疲れ」というのが一番多い。その手のストレスは、友達などの人間関係悪化の連鎖をも引き起こす。

ちなみに、自発の目標をもって主体的に取り組んでいる子どもは別で、塾でどんなに大変でも真っ直ぐでへこたれない。)


授業は、子どもが子ども自身を鍛える場なのである。

教師が自分のためにやる授業では意味がない。

塾や習い事も同じで、親のためではなく、本来は子どもが子ども自身のために取り組んでいるはずである。

教師や親のために子どもが頑張っているというのは、本末転倒である。


大人である自分は、大人であるだけで、別に子どもより偉い訳ではない。

子どもは子ども自身で、自ら伸びる力をもっている。

この自覚をもつことが、教育ではかなり大切である。

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