2020年10月10日土曜日

木配りと多様性

 クラス会議を実践していると、心から思うことがある。

それは、色々な特性の子どもがいた方がいいということである。


リーダーシップがある。

これは、とてもいいことに見える。

だから、みんなに身に付けて欲しいと願いがちである。


違うのである。

先頭に立つタイプのリーダーシップの強い人間が二人以上集まると、対立が起きやすい。

「船頭多くして船山に上る」の諺の通り、一つの集団において先頭に立って引っ張るタイプは、一人でいい。

逆に言うと、そのタイプも一人出てくれないと、色々と困る。


フォロワー型リーダーシップの得意な子どももいる。

全体に意見をふっていきながら、まとめていく。

しかしながら、このタイプは、自己主張をしないために、自己犠牲にもなりやすい。

そこへのフォローを入れてくれる、あまり目立たないが気遣いのできる子どもも必要になる。


突拍子もない変なことを言う子どもがいる。

これがまたいい。

話合いが膠着した時の起爆剤になる。


あまり積極的に発言しない子どもがいる。

しかし、ぽそりとつぶやく発言が鋭いことが結構ある。


また、会議中には発言しないが、決まったことを、やるとなったら黙々とやるタイプもいる。

逆もあって、会議中は勢いがあるのだが、実行となったらあまり動かないというタイプもいる。


本当に色々いた方がいいのである。

自治を目指すクラス会議に至っては、スムーズに決まらないぐらいがちょうどいい。

様々な角度からの視点で見るからこそ、多数の賛成案に対しての問題点も見つかるので、簡単には決まらない。

(一般的な会議は、原案への承認が主な目的だから、基本的にはさっさと決まった方がいいのである。)


ところで、「木配り」という言葉がある。

建築における木材の配置のことである。

木目や癖によって、配置や向き、見せ方が変わる。

様々な特徴の木が組み合わさることで、強い住宅ができる。


法隆寺の棟梁、西岡常一氏の言葉がある。

「木のことは木に聞け」

「木には癖がある、右に捻れる木と左に捻れる木を組み合すのが極意である」

参考H.P.:「宮大工が語る 世界最古の木造建築」 



要は、どんな人間同士でも、木と同様、使い方、組み合わせ方次第なのである。

適材適所というが、個々の人間には、必ずその特性が生きる場がある。


特に一見すると組み合わせにくそうな木もある。

これはいわゆる「平均」の値から大きく外れた子どもである。

他と明らかに違って組み合わせにくいように見えるが、実は唯一無二の力をもっている。

しかしながら、扱う側にそれを見抜く目がないと、単なる扱いにくい、よくない木材とみなされる。


私は常々「長所進展、短所無視」が大切だと考えている。

短所克服は、労多くして功少なしということが多い。

(しかしこと受験勉強に関しては、不得意な部分が一番点数の伸びしろがあるので、無視できない面があるのも事実である。)

長所を見出し、伸ばすことが教育の要点である。


その特徴は、どう生きるか。

一見欠点だと思っているところは、無視するか周りのフォローで何とかならないか。

あるいは、実は長所に転じられないか。


これは子ども集団だけでなく、職員集団にもいえる。

色々な特徴のある人が集まっている方が強い。

自分が全然ダメだと思っている人もいるかもしれないが、意外なところでみんな役に立っているものである。


多様性を認め合う。

クラス会議は、その入り口として有効な実践である。

ぜひもっと広まって欲しいと願う。

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