前にも書いたが、「友だち百人」もいらない。
現実の世界としては、基本、一人でも理解者がいれば十分である。
真の親友と呼べるような存在が一人いれば、世界が敵に回っても戦える。
そして、この親友は、べったりくっついたり、束縛する必要もない。
互いに自立して勝手に動き、必要な時にはがっちり助け合える関係である。
(一緒にトイレに連行したり、「〇〇と話したらダメ」という征服者と手下の関係とは次元が全く違う。)
裏を返せば、クラス全員が本当に「友だち」と呼べる関係であるか。
答えは否である。
中には、過去のいじめ等で、根底で恨んでいる関係性すらある。
それでも同じクラスであれば、一致団結して物事を遂行することがある。
それが目的を持った集団のクラスというものである。
このことは、職場に置き換えるとすぐわかる。
職場の仲間は、友だちの集まりではない。
共通の目的に向かって、目標を達成するための集団である。
運命共同体である。
そこには、好き嫌いを超越した関係性が求められる。
「人として好きじゃないから協力しない」とか、「好き同士だからうまくいく」という類のものではない。
無論、仲間同士の関係性は良好な方が円滑に進むが、仲良しであることは必須ではない。
しかし、ことクラスになると、往々にして「みんな仲良く」の幻想を求めてしまう。
なぜなのだろうか。
長くなったので続きは次号。
2016年7月9日土曜日
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