2015年11月28日土曜日

受容したくない関係性もある

前号で、教えを受容すべしということを書いた。

しかし、これは師弟関係を例に出して書いた。
つまり、良好な関係性が前提である。
教えられたい人と教えたい人の関係である。

逆に言えば、この関係性がない相手とは成立しないともいえる。

自分が教えられたり指導される側の時を例にして考えてみる。
単純に立場が上という相手がいる。
考えの合わない人かもしれないが、こちらが下の立場という場合である。
従わざるを得ない相手である。
たとえ嫌でもきく。
場合によっては、きかないかもしれない。

これが、関係性の問題である。
「指導的立場にあるから相手が従うべき」というのは、上の立場の側の一方的な論理である。
師弟関係とはかなり意味合いが異なる。
そもそも、ききたくないという関係の相手では、心から受容できない。

逆に、自分が教えたり指導したりする側の時を例にして考えてみる。
これが、教師と子どもの関係である。
子どもにとって教師は、従わざるを得ない相手である。
たとえ嫌でもきく。
場合によっては、きかないかもしれない。
先に出した例の、自分が下だった場合と同じである。

つまり、教えが入るかどうかは、すべて関係性である。
教え方以前の問題である。
アクティブ・ラーニングどうこう以前の問題である。

良好な師弟関係のように、がっちりとした絆で結ばれていれば、何でもすっと入る。
野口先生は「教育の成立条件は信・敬・慕」と明確に仰っている。
「信頼・尊敬・慕う」の意味である。
この関係性がすべてである。

教えを子どもが受容するかどうかも、関係性が全てである。

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