2015年11月23日月曜日

言うべきを言えるか

言うべきを言う。
大切なことである。
しかし「言うと面倒だから」ということで、言わないことは多い。
つまりは、言う相手による。

先日は、それなりに混んでいる電車の中で、早朝から大酔っ払いの4人組のおじいさんたちが乗り込んできた。
私は、離れた位置だが同車両内にいた。
まったくかみ合わない会話を大声でわめき散らし、朝の静寂な空気を完全にぶち壊した。
しまいには、歌を歌い出した。
近くにいる人からすると、かなりの脅威である。
(席が遠く離れている私からすれば、お笑いでよくある「酔っ払いコント」をきいているようでもあった。)
明らかに迷惑行為である。
しかし、誰も注意しない。
言っても聞かなそうであり、かなりの高確率で絡まれそうである。
いや、聞かなそうというより、話しかけた時点で確実に噛みついてくる勢いである。
何と言っても、酔っ払った人間に道徳を説くほど無駄なことはない。
強制力のある警察ですら苦戦するのである。
当たり前のように、放置である。

おじいさんズの演説は、その後5駅分続く。
よくまあしゃべるものである。
やがて降りていき、車内に平和が戻った。
周囲はじっと耐えていただけであり、理不尽ながら、悪の勝利である。

こういうことは、生きていると結構ある。
学校でもある。
たとえばお祭りや運動会、陸上大会などで、言ってもきかない大人を説得するのは容易ではない。
マナー違反もどんとこいという人もいる。
注意すると、十倍の文句で返してくる。
そんな人を注意するよう任じられているPTA役員さんは、大変である。
教頭は地域の方々に頭を下げて回るはめになる。
大変である。

ちなみに、電車内の人はまだしも、学校に来る人の方は名前まで覚えられている。
「注意してもきかない〇〇さん」「駐車違反をしていた〇〇さん」になる。
悪い噂はすぐに回る。
地域の保護者として運動会に参加する際にも気を付けたいことである。

要は、言ってもらえない人になるということである。
悪いことをしても注意されない人。
その大人だけでなく、これがその子どもにも伝染する。
ここは防げない。

だから学校では、子どもに「素直」であることの良さをきちんと教える。
悪い点を教えてもらえることは、良くなるチャンスを与えられていること。
いちいち口ごたえしたり屁理屈をつけると、「面倒な人」や「どうでもいい人」になって注意されなくなること。
その怖さも伝えておく。

子どものより良い成長のためには、「ダメなこと」もきちんと伝える気概が必要である。

一律の宿題は、いらない

宿題の話。 例えば夏休み、学校では、どれぐらいの宿題が出た(または出した)だろうか。 教師の側からすれば「山ほど出した」という人は少ないと思う。 なぜなら「山ほど」かどうかは、受け手が感じることだからである。 「子どもの負担を考えて、少なめにしました」という人でも、相当...

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