2015年2月21日土曜日

素材研究 関連した本も「ついでに」読む

今回は、教材研究以前の「素材研究」の仕方の話。
タイトルは、以前にも紹介した国語科指導主事の横田経一郎先生の言葉。
ここを元に、自分の解釈した素材研究の仕方を述べる。

節分の日に関連して。(この記事のメルマガ発行がちょうどその時だったので。)
例えば国語科で『おにたのぼうし』(あまんきみこ作)を授業するとする。

まずは「鬼」に関連する本をたくさん読んでみる。
大抵、悪い鬼が多い。
鬼=悪というイメージは、日本では『古事記』の中に出てくる黄泉醜女(よもつしこめ)以来である。
中には人を喰うのもいて、大抵正義の味方(ヤマトタケル、桃太郎、一寸法師・・・他)に退治される。
邪悪の化身という位置づけである。

一方で、「山男」も「オニ」という位置で民衆に親しまれている。
例えば斎藤隆介の作品『八郎』や『三コ』などには、山の大男が主人公として登場する。
斎藤隆介の描く山男は、大変な力持ちで心優しく、貧しいものや虐げられている人々のために自己の命を投げ打つのが特徴である。
これは、主人公の「おにた」に通ずる点がある。

その視点で探すと「ないた赤おに」や「おにはうち!」などの、「いい鬼」の話も結構ある。
どれも、「人間と仲良くしたいのに、差別されてきた心優しい人々」の話である。
鬼は「異形のもの」「超能力者」として、「畏れ」られてきたのがわかる。
ここを読み比べ、共通項を探る。
そうすると、自分の中に「これを子どもに伝えたい!」というものが見えてくる。
(逆に言うと、これがないまま行う授業は虚しい。やるだけ無駄である。)

さらに、「ついでに」作者のあまんきみこの他の作品を読んでみる。
例えば、「ぼうし」が重要アイテムという共通点の「白いぼうし」と読み比べてみる。
なるほど、ぼうしの中に何か大切なものが入っている、というのは、ロマンチックである。
ぼうしというものへ作者の思い入れも伝わってくる。
「きつねのおきゃくさま」と読み比べると、「命をかけて大切な人を守る」という主人公の共通項が見えてくる。
そこに、感動の中心があるとわかる。

授業をするなら、素材研究をして周りのものにまで手を広げる。
それで、知識を深め、土台となる基礎を築く。
そこがあって、はじめて「何を教えるか」を選定する「教材研究」の開始である。
さらに「指導法研究」をし、具体的な発問や指示まで考える。

そうなると授業で使うのは、素材研究の中のたった1%である。
99%は、しまっておく。
イメージとしては、氷山の一角。
授業研では観る視点がないと、海面の上に出ている部分しか見えない。
指導主事の先生などは、海中の沈んでいる部分が見えている。
なぜなら、自分自身が研究して知っているからである。
そこまでしてはじめて、子どものどんな反応にも対応できる幅のある授業が創れると思う次第である。
教材研究以前に、素材研究に力を入れたい。

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