2014年9月3日水曜日

素材研究は授業の「基礎」づくり

先月行った「やる気スイッチセミナー」で、素材研究について扱った。
しかしながら時間が足りず、「詳しくは次回!」ということになってしまった。
(そもそも、前半の「ゲーム」ワークで楽しくなりすぎて時間をオーバーした。
セミナーだけでなく、授業でもよくあるパターンである。)

今回の本の中にも、素材研究の大切さは書いてある。
この大切さは、なかなか伝わりにくい。

そんな折、たまたま関連する記事を見付けた。
大体、次のような内容である。

「オリジナリティ(独創性)の語源は、オリジン(起源)。
つまり、独創性を発揮させるためには、素材そのものを深く理解していること。
何より基礎基本が大切。」

気にしていると「心のフィルタ」に引っかかるものである。

授業で当てはめて考えてみる。

「授業名人」の授業を見る。
実に単純明快で、すぐにでもやれそうである。
実際に自分でもやってみる。
全然うまくいかない。

こういうことはよくある。
授業で見える部分は、いうなれば氷山の一角。
簡単にやっているように見えて、見えない部分がとても大きい。
素材研究の深さが違うのである。

そうすると、対応の厚みが違う。
子どもの言動の「予想外」がぐっと減るので、本当に価値のある発言に気付ける。
また、表面的な理解であることも見抜けるので、浅いと思ったらつっこんだ対応ができる。
わざと間違えるとか、意見が割れる発問をするとか、高度な対応ができる。
それらの発言を、最終的に束ねることもできる。
意見をかき混ぜるのも固めるのも自在にできる。

逆に素材研究が浅いと、「予想外」の発言にひっかき回される。
または、「宝石の原石」の発言の価値に気付けず、捨ててしまう。
本線から全く外れられない、まさに指導案通りの授業にしかならない。
(それにすら至らないことも多い。)

家なら、土台(基礎)。
木なら、根っこ。
何でも、見えない部分が見える部分をがっしり支えている。

素材研究は、授業の「基礎」づくりである。
素晴らしい実践に憧れるなら、見えない泥臭い部分をこそ真似したい。

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