2014年9月13日土曜日

夏休みの宿題は何のため

メルマガからちょっと時期がずれてしまったが、夏休みの自由研究の話。

子どもに宿題として出した方が多いことと思う。
地域の審査会等もあるので、必須課題にしているかもしれない。

この自由研究、実際やってみると、かなり大変である。
1年生などは、字を習いたての状態で、文章を書く経験も少ない。
論文にまとめるというのは、一部の例外を除き、自力では厳しい。
材料集めだけで数日間、作るのも1日がかりかそれ以上である。

選択なのだから、工作にいけばよいものをと思う。
しかし、工作も自力でやるとなると、これまた大変。
工具やら材料やらがたくさん必要になる。
わざわざ手作り風になる「自由研究・工作キット」なるものも販売されているのも頷ける。

そんな世の親子の悲鳴、ニーズに応えて「夏休みの自由研究教室」もたくさんある。

ここで、何のための夏休みの宿題なのか、と考える。
「夏休みにダラダラしないため」という人もいるが、宿題があろうがなかろうがダラダラする人はダラダラする。
その考えなら「ダラダラする子どもを苦しめ、自責の念を負わせるため」の方がまだ真実に近い。

逆に、自律ができる子どもは、課題を自分で見つけて、与えられずともどんどんやる。
大半の子どもは「宿題があるからやる」というのが本音である。

一体、夏休みの宿題の存在意義は、何なのだろうか。
昔からあるので続けているが、これがないと、どんなデメリットがあるのだろうか。
「自由研究・工作」は、なぜ必要なのか。

この辺りを、考えていきたい。
(長くなったので次号へ続く)

共感と勘違い

「インクルーシブ教育」に関連した話。 最近、刺さった本。 『跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること』 東田 直樹 著 イースト・プレス (2014/9/5) http://www.eastpress.co.jp/shosai.php?serial=21...

ブログ アーカイブ