2014年9月1日月曜日

「必要」か「欲しい」か

前号の続き。
素材研究の大切さについて。

素材研究は、一見余計な作業である。
極端な話、やらなくても授業できる。
教科書と「赤本(指導書)」を見て授業することもできる。
これで指導案を書くこともできる。
ではやらないでよいではないかというと、そうとも言い切れない。

「必要」と「欲しい」は別物である。
読者のみなさんは、どちらが大切だろうか。
どちらに、よりお金や労力をかけるだろうか。

「必要」の方が、上に見える。
しかし、人間にとって、実際は「欲しい」の方が、上位である。

例を挙げると、車好きな人は、車にものすごいお金をかける。
車に興味の無い人にとっては、別にタイヤのホイールが標準だろうがアルミだろうが変わらない気もする。
どちらでも「走る」という必要性からすると、全く同じである。
しかし「欲しい」から、お金をかける。
車好きにとって、標準ホイールのタイヤで走るなど、言語道断なのである。
別の例だと、服を買う時に「あなた同じ物持ってるじゃない」と周りに言われるのも同様。
同じように見えるものでも、やはり違うのである。
よく考えると「必要」はないかもしれないが、「欲しい」ので、お金をかける。
より理想に近づけたいのである。

「必要最低限の授業」であれば、何もしないでできるかもしれない。
しかし、理想を持って授業をする人にとっては、「欲しい姿」がある。
そのために、素材研究である。
授業で実際に使う部分は一部かもしれないが、周辺部分を持って授業に臨める。
そうすれば、指導案の流れと関係ない様々な意見にも対応できる。
授業自体を楽しめる。

少し無理してでも時間をとって、素材研究はしておきたい。

一律の宿題は、いらない

宿題の話。 例えば夏休み、学校では、どれぐらいの宿題が出た(または出した)だろうか。 教師の側からすれば「山ほど出した」という人は少ないと思う。 なぜなら「山ほど」かどうかは、受け手が感じることだからである。 「子どもの負担を考えて、少なめにしました」という人でも、相当...

ブログ アーカイブ