途中で止まっていたので、学びシェアシリーズ第5弾。
鹿毛雅治氏が次のようなことを述べていた。
「ゆとりがないと、効率化に走る。
しかし、何のための効率化なのか。」
これを考えるのは、大切なことだと思う。
効率化をねらうことで、逆にゆとりをなくしていることもある。
例えば、学力検査が近いからという理由で、理科の実験を省略する。
実験が省略されれば、時間はできる。
しかし、体験が伴っていないため、子どもがきちんと理解しにくい。
結果、テストをやったら全然できず、再指導することになる。
例えば、三角形の面積を求める公式をとにかく丸暗記させたとする。
しばらくは、それでもテストで正解はできる。
しかし、他の単元を学習後、記憶に残っているかというと、かなり怪しい。
「三角形は長方形の半分」ということを、色々なやり方で試行錯誤して学習した子どもは、記憶にきちんと残っている。
どちらも、結果的に回り道した方が結局は効率的だったという例である。
「急がば回れ」が、正しい場合もある。
また、正しくない場合も、ある。
すっと答えを教えた方がいいものもある。
何が能率的で、そこでできたゆとりで、何をしたいのか。
時々振り返る必要がある。
2011年3月24日木曜日
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