2022年12月3日土曜日

懲罰、叱責、ストレスの効能

夏休みに読書感想文を書かされるのは心の底から大嫌いだ。

しかし、自分が好きに本を読んでその本についての文を書くのは大好きである。

強制されると、魅力が半減どころか、嫌悪に変化するという好例である。


夏休み中には、本の虫とまでは言わないが、時間があるのをいいことに、何十冊と、様々なジャンルの本を読んだ。

以下に、読んだ本の一例を挙げる、


『やりすぎ教育 商品化する子どもたち』武田 信子 ポプラ新書

『〈叱る依存〉がとまらない』村中直人 紀伊國屋書店

『知的好奇心』波多野誼余夫/稲垣佳世子 著 中公新書

『薬物依存者とその家族 回復への実践録 ─ 生まれ変わり、人生を取り戻す』岩井喜代仁 どう出版

『死刑について』平野啓一郎 岩波書店


読んだ多くの本に共通しているメッセージがあった。


それは

「他者に苦痛を与えることは有害」

という一点である。


苦痛とは、肉体的、精神的両面を指す。

有害とは、個人的、社会的両面を指す。


苦痛を与えることで、改善をねらう。

しかし、結果はマイナスにしかならない。


一方、有用な苦痛、ストレスは存在ないのか。

これも、実はある。


自ら求める苦痛、ストレス。

自らが求める何かを目指し、頭や体を鍛えるために負荷をかけるようなもの。

これのみが有用である。


同じストレスであっても、他者が強制的に与えるものは、有害でしかないというのが多くの識者の結論である。

実は、何十年も前から今まで一貫して主張されている話なのである。

つまりは、一方で、逆の主張もずっとあるということでもある。


ものを教える立場(子どもから見た権力者の立場)にある、自分の経験則から考える。

やはりこれら「与える苦痛」は、有害という実感がある。

長い目で見て、後悔しか生まない。


「悪さをしたから裁いていい」

「叱らないと子どもがダメになる」

「然るべき報いを」

という考えは、社会全体に根強い。


教員をしていても、まだ幼い子どもの口から

「悪い子はこらしめないと」

というような言葉が出て、ぎょっとすることがある。


わかりやすい「勧善懲悪」のアニメや物語に囲まれているのだから、当然そうなる。

周囲の大人の「観」の影響は大きい。

まさに、マルトリートメントである。


SNSやネット上が「公開処刑場」と化している。

善男善女による「正義」の鉄槌が下され炎上する現代に、歯止めをきかせるにはどうするのか。


まずは「他人の悪いことを正そう」という、他者改善の姿勢を改めること。

被害を受けた当事者でない限り、糾弾するようなことはしないこと。


ただしこれは「決して叱ってはいけない」ということではない。

特に自分がその場の責任者である場合、他者に危険が及ぶ時やルールを逸脱した時などは、叱ってストップすることは十分に有り得る。

それは仕事であり、個人的な好き嫌いの問題とは一線を画す。

警察が違反の切符を切るのと原則は一緒である。


教室内であっても、この辺りから考えていくと良いのではないかという提案である。

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