2022年12月17日土曜日

「自分の子ども時代と同じ」は危険信号

 最近、国語の先生の話を伺う機会が多い。

自分は特別活動を中心に据えているが、国語は必須である。


国語の指導は大きく変わってきている。

例えば、次の事柄について、どのように指導をしているか。


・漢字

・音読

・読解

・作文

・ノート

・話し方と聞き方


これらの事柄について、「自分の子ども時代と同じ」というものがあったら、それが危険信号である。

自分の子ども時代と現代が同じ指導でいいはずがないである。


一人一台端末の時代、子どもが触れる情報量は、一昔前と桁違いである。

必要なスキルも、質が違う。

十年一日のようになっている学校教育は、疑うポイントだらけである。


これは、昔の実践の否定をしている訳ではない。

三十年前のパソコンは、三十年前には輝く最新型だったのである。

それを今も使うべきか、という話である。


個人的にずっとガラケーを使用していても全く構わないのである。

ただ、ガラケーが現代のスタンダードだと子どもに教えるのは、明らかな虚偽である。

そこは、本当のことを教える必要がある。


学校は、本当のことを教えているか。

「将来」ということを口にする時、それは本当か。

未来が、せめて現代が見えている上で、子どもに語っているか。


「自分の子ども時代と同じ」は、ノスタルジックな良さはあるが、非現実的である。

「これが正しい」と思い込もうと、自分を騙していないか、自問自答して、疑ってみる必要がある。

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