最近、国語の先生の話を伺う機会が多い。
自分は特別活動を中心に据えているが、国語は必須である。
国語の指導は大きく変わってきている。
例えば、次の事柄について、どのように指導をしているか。
・漢字
・音読
・読解
・作文
・ノート
・話し方と聞き方
これらの事柄について、「自分の子ども時代と同じ」というものがあったら、それが危険信号である。
自分の子ども時代と現代が同じ指導でいいはずがないである。
一人一台端末の時代、子どもが触れる情報量は、一昔前と桁違いである。
必要なスキルも、質が違う。
十年一日のようになっている学校教育は、疑うポイントだらけである。
これは、昔の実践の否定をしている訳ではない。
三十年前のパソコンは、三十年前には輝く最新型だったのである。
それを今も使うべきか、という話である。
個人的にずっとガラケーを使用していても全く構わないのである。
ただ、ガラケーが現代のスタンダードだと子どもに教えるのは、明らかな虚偽である。
そこは、本当のことを教える必要がある。
学校は、本当のことを教えているか。
「将来」ということを口にする時、それは本当か。
未来が、せめて現代が見えている上で、子どもに語っているか。
「自分の子ども時代と同じ」は、ノスタルジックな良さはあるが、非現実的である。
「これが正しい」と思い込もうと、自分を騙していないか、自問自答して、疑ってみる必要がある。
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