2022年11月26日土曜日

「自治的学級づくり」と「不親切教師」の深い関係

 夏の話だが、千葉市で、オンライン参加も含めたハイブリッドのセミナーに参加した。

提案内容は「不親切教師的学級経営」である。


ちなみに会の母体は「日本学級経営学会」である。


参考: 日本学級経営学会H.P.



自分はこれまで、この会に限らず「自治的学級づくり」をテーマに数年間提案をし続けてきた。

前任校である千葉大学教育学部附属小学校の公開研究会でもそうである。

それが今年から突然「不親切教師のススメ」である。


急な方向転換に見えるが、実は違う。

字面が違って見えるだけで、実は視点が違うだけである。


「自治的学級づくり」は、「学級」に視点を置いた表現である。

学級集団全体が、自治的になっていくことをねらう。

つまり、子どもが主体性をもって活動し、教師が手を出し過ぎない学級である。


「不親切教師」は、「教師」に視点を置いた表現である。

教師が敢えて手を出さないことで、子どもが主体性をもった存在になることをねらう。

つまりは「自治的学級づくり」と同根である。


今年になって私が突然「不親切教師」になった訳ではない。

「自治的学級づくり」を指向して以来、ずっとそうだったのである。


では、「自治的学級づくり」と「不親切教師」は全く同じかというと、これは違う。

同根であっても、表出の仕方や主語が違うのである。


先にも述べた通り、「自治的学級づくり」は、学級が主である。

つまり、教える自分自身が主語にない。

学級という子ども集団に対する「他者変容」である。

「研修」を「研究と修養」に分けた時、他者変容を求める「研究」にあたる部分である。


一方「不親切教師」の主は、教師である。

自分自身が主語であり、求めるのは「自己変容」である。

「研究と修養」でいえば、こちらは自己変容を求める「修養」にあたる。


現実的に考えて、主体性をもって取り組みやすいのは、修養、自己変容の方である。

他者を変えるというのは、容易ではないし、主体性も選択権も他者にあるので、どうしても難しい。


自分自身なら、自分次第で、自分の選択で変えられるのである。

そのための道標として書きしたためたものが『不親切教師のススメ』なのである。


8年前に自分が友人と共に上梓した

やる気スイッチ押してみよう!

という本がある。


この本の一番最初に掲げたキーワードも

「主体変容、率先垂範」

である。

実は主張自体は一貫しており、全く変わっていない。

手を変え品を変え表現を変え、大切だと思うことを言い続けているだけである。


なぜそんな面倒なことが必要なのか。

それは、大事なことは1回では伝わらないからである。

大事なことは、何十回も、何百回も、何千回も言わなくてはならない。

しかも、表現を変えて伝え続ける必要がある。


例えば、「あいさつ」の指導が1回や10回程度言えば済むか。

それなら誰も苦労しないということは、誰しもが知っていることである。

「返事」でも「靴揃え」でも何でもそうだが、大事なことを徹底するというのは難しい。

何度でも何度でも何度でもへこたれず繰り返し伝え続ける必要がある。


それも、表現を変える必要がある。

同じ言い方だと、飽きるからである。

飽きは興味や関心・意欲の敵である。


さらに、人によって「響く」表現が異なるためである。

「甘味」と「デザート」と「スイーツ」ではイメージが変わるし、その内実も少しずつ違う。

感受性の違いは個性の違いであり、前提にあるべきものである。


不親切教師のススメ」とは、自分自身の在り様、考え方、それに伴って対応を変えようという提案である。

「こうすれば相手を思い通りに動かせる」という提案とは真逆の内容になっているのが、おススメポイントの一つでもある。


既に本書を読んだ読者の方にとっても、この視点で再度見直していただければというご提案である。

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