子どもが主役のクラスづくり。
私も大賛成の方向である。
しかしながら、それが勝手に実現するならこんなに楽なことはない。
実際それは、教師が主体で全部引っ張っていく場合よりも、遥かに手間も指導技術もいる。
そして子どもが主役であっても、指揮者であるプロデューサーや監督がいなくては映画も舞台も成立しない。
近年、この手の方向の書籍はよく売れているようである。
多くの人にとって、子どもが主体的に動く学級の方がいいに決まっている。
誰だって、できればあれこれと手出し口出しをしたくないはずである。
個の多様性を求める時代のニーズに合っているのである。
ただし学級づくりには、段階がある。
書籍でもセミナーでも公開授業をした時などでも、何度も紹介している、次の「学級の成長段階」である。
第1段階 学級開き
第2段階 一斉指導
第3段階 ペア・グループ活動
第4段階 自治的活動
(引用元
『スペシャリスト直伝! 学級を最高のチームにする極意』赤坂真二著 明治図書p.25
)
目指すは第4段階の「自治的活動」である。
この段階では、教師は活動する子どもの背後に隠れ、本当に必要な時以外には出てこない。
いわゆる「教師がいなくても大丈夫な学級」である。
学級開きから、ここを常に目指すというのが大切である。
楽しいことをするのも自己開示するのも、全てこの「自治的活動」という段階への目的達成のための手段である。
子どもが楽しんだからいい、仲良くなれたからいいというのとは、全く違う。
一方で、いきなり自治的活動の段階を求めるのも違う。
段階に合った方法や手段、道具というものがある。
鉄棒初心者にいきなりオリンピック選手のやる技に挑戦させようというようなものである。
全くできないか、無理してやれば大怪我である。
だから、最初の「学級開き」の段階では、とにかくこの場が安全だとわかるようにする。
安心をつくる。
縦糸(教師との信頼関係)の構築に努める。
ここに尽きる。
次は、「一斉指導」の段階である。
いきなり個々が好き勝手にやっていては、根本の安全と安心が脅かされる。
まずは基本的なことを一斉指導できき、できるようにするという段階を踏む。
全体として基本的な知識と技能を身に付ける段階である。
3番目にやっと「ペア・グループ活動」が中心となる段階である。
横糸(子ども同士の信頼関係)を強くしていく段階であり、これまで以上に思考力・判断力・表現力が求められる段階である。
「中心となる」というのは、この段階においても一斉指導はするし、安全・安心を築くための活動もするからである。
もちろん「学級開き」の段階でも、ペア・グループ活動を取り入れることはある。
まだ成熟していない段階であっても、イベントとして、自由に取り組むような自治的活動に挑戦することもある。
あくまで、各段階における中心的活動だということである。
第4段階にいけば、一斉指導の機会はぐっと減る。
イベントの企画や運営も自分たちで実行委員を立ち上げて実施する。
安全・安心を確保するための問題解決も基本的に自分たちで行う。
どうにもならない時には、やっと教師の出番である。
だから決して、教師は「本当にいなくていい」ということにはならない。
完全に離れるのではなく、「自分たちでできる!」を遠目に見守る段階である。
本当に完全に離れるのは、3月末の別れの時である。
敢えて望まずともその時は訪れる。
子育てにおける親子の関係と同じである。
「子どもが主役」「教師がいなくてもいい」というのは、そのような状態を指す。
字面ばかりを追うと、単なる放任の無責任と勘違いされる可能性があるが、そうではない。
子どもの自立を促すという強い責任感と高い指導力、うまくいかないことへの忍耐力をもって取り組む必要のある方針である。
字面で善し悪しを判断しない。
全ての教育手法や方針は、使い手次第である。
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