前回、権利も恩恵に変えられる、という話を書いた。
これに関連して、権利についての考え方。
学級では、子どもに権利の在り方を教える必要がある。
権利の誤った主張が、様々なトラブルを引き起こすからである。
全ての人に自由に生きる権利があると憲法でも定められている。
法的に定めらている基本的人権である。
この「法的に定められている」というのが一つのポイントである。
生まれながらの権利とは言うが、実はそれを保障してくれる社会が前提になくては成り立たない。
つまり、当たり前のようで、実は「有難い」ことである。
社会によって規定されている以上、社会の規定したルールが作用する場の上でのみ、その権利は保障される。
(武力による占領下のような、社会が正常に機能しない異常事態においては無効となる。)
全ての人にこの権利が保障されている。
ここで矛盾が起きる。
したいという人の自由と、それをされたくないという人の自由のぶつかり合いである。
社会のわかりやすい例で言うと、恋愛関係や婚姻関係である。
あなたと付き合いたいという人がいて、あなたはその人と付き合いたくないとする。
変な言い方だが、受け身の形で書くと「私はあなたに付き合われたくない」という状態である。
どちらの権利が優先されるかは、明白である。
されたくないという拒否権の方が優先される。
つまり、自分の権利(したい)は他人の権利(されたくない)を侵害しない範囲において有効なのである。
「自分がしたい」よりも、「人がされたくない」が優先されるのが、社会である。
交通ルールなども基本設計はこれである。
スピードを出したい自分の身勝手な自由の権利よりも、スピードを出されたくない歩行者や他の車の安全の権利が優先される。
子どもに伝えるとしたら、違う例で伝える必要がある。
授業中に大声で騒ぎたいという子どもと、静かに授業を受けたいという子どもがいる。
どちらの権利が優先されるかと問いかける。
これはすぐにわかるが、静かに受けたい子どもの権利が優先である。
大声で騒ぐことは、周囲の他者への「攻撃行為」である。
音というのは聞きたくない人の耳にも入ってしまうため、無差別な暴力行為になり得る。
また、授業全体の進行を妨げる行為でもあるため、全体の利益を損なう行為ともいえる。
したいよりもされたくない優先。
これを理解するだけでも、学級で起きるトラブルのかなりの部分がカバーされるのではないかと思われる。
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