2021年8月26日木曜日

体育の教科担任制とシェアの時代

 来年度から小学校5年と6年の教科担任制導入が本格化する。

外国語と理科、算数に加え、体育がその優先対象になるとのこと。

全面的に賛成である。

ただどちらかというと、低学年からこれにした方がよいというのが、経験上の確信である。


特に体育は、顕著に指導結果の差が出る。

指導者次第で伸びる伸びないが相当に変わる。

指導者のイメージに成長が規定されるからである。


国語や算数などの教科以上に、その差が起きやすい。

なぜなのか。



一つ目は、教科書の存在の有無である。


教科書があると、教える内容がある程度まで、いや、相当に決まる。

例えば小学校二年生ならかけ算を身に付けさせないで進学させようとすることは、ほぼあり得ない。

教科書に系統的に登場するからである。

全国どこの学校でも、大体、二年生の二学期に学び始めるはずである。


体育などの教科書がないものは、ここが違う。

学習指導要領には指導内容の例が出ているが、指導者次第というところがかなりある。


また特に体育の場合「二学年にわたって」という柔軟な対応をしているのが裏目に出ることもある。

きちんとチェックしていないと、どちらの学年でも履修していないという事態が起こり得る。


こういった要素から、履修の有無も含めて差が出やすいのが現実である。



差がつく理由の二つ目は、先に述べた「指導者次第でイメージが規定される」という点である。


「どの程度までやらせるか」

「どういう手順でやらせるか」

この辺りのイメージが、指導者の裁量にかかっている。


学習指導要領では運動例が示されているが、あくまで例であり、その内容を全てやれという性質のものではない。

(小学校で逆上がりができるようにすること、4泳法を身に付けることなどと示されている訳ではない。)


だから、例えば「危ないからやらせない」となれば、それで終わる。

「体育はずっとドッジボール」みたいな悲劇的な過ごし方をする例もある。

「ゴール型」でサッカーを指導させたら、11人のフルコートのゲームをひたすらやらせるというようなことも起きる。

曰く「子どもが喜ぶから」だそうである。

(さすがに今の時代はいない・・・と思いたい。)


特に指導者側に得意不得意が分かれる表現系と器械運動系は避けられがちである。

やらない指導者のもとだと、本当にやらないで一年が終わることがある。

運悪くそれが数年続くと、運動感覚の全く育っていない高学年集団の出来上がりである。



全学年の体育が教科担任制になれば、これらの悲劇を防げる。

「学級経営に体育は重要だから」と低学年は担任の体育を外さない傾向があるが、これは間違いのもとである。

体育を教師の学級経営に利用することで、子どもの体力がつかなくなったら本末転倒である。

教師の都合と子どもの成長のどっちが本質的に大切なのかということである。


いずれにしろ、一歩前進である。

願わくば、この教科担任制化の流れを、高学年だけと言わず、低学年にまで広げていってほしい。


「担任と合わない」の事態が起きるのは、高学年だけではないからである。

(まして、保護者までを含めれば尚更である。)

子どもも保護者も、学校のことで相談できる教師が幅広くいた方がいいに決まっている。


現存の担任一人に依存する昔ながらの学級担任制の仕組みは、昔の教育方針なら良かった。

しかし、多様性と個の教育が求められるこの時代に、合っているといえるか。

この教科担任制の拡充や、幼稚園や保育園のチーム保育のような、現存と異なる仕組みが確実に必要である。


現場には、予算がなくてもできる工夫はたくさんある。

世界の主流が「所有」から「シェア」に移るこの時代、学級担任制の在り方もシフトしていくタイミングである。

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