前号にも書いたが、学校には、かつては、大昔は必要だったものが溢れている。
夏休みの宿題もその一つである。
現代は、教員が忙しいように、子どもたちも、ものすごく忙しい。
見ると、子どもの日常も過積載で、遊ぶ暇さえない。
結論から述べると、夏休みに一律に自由研究やポスター、読書感想文などを出させることは、現代の教育的に不要である。
特に今の時代、やりたい子どもは個人の価値観と家庭の教育方針に沿って自発的にやる。
それが本来の「夏休みの自由研究」の指す意味であるし、学校の目指す「学びに向かう人間性」の指すところである。
一昔前は、それができなかったのである。
学校以外、教育情報にアクセスできないため、学校がやらないとチャンスロスとなっていたのである。
ところが今や、個人でもネットで調べれば、いくらでも作品の募集を見つけられる。
またかつては、ドリルなども出さないと、一般の家庭では勉強する術がなかったのかもしれない。
しかし、ネットで学べ、学習塾や家庭学習教材が全盛の現代において、どの地域でも一律にそれが必要といえるか。
夏休みの一律のドリル学習は、過積載に更に載せて、子どもを潰す行為である。
(そもそも、ドリルを家庭でやらせて、苦手な子どもができるようになったという報告を聞いたことがない。)
夏休みの大量の宿題の最大の効果は
「夏休み明けに学校に行きたくない」
と思わせることである。
不登校促進装置となっている面が否めない。
(実は教員側にとっても同じである。)
大人も子どもも、互いに無理をさせすぎなのである。
「自分が苦しむからお前も苦しめ」という地獄的発想である。
例えば前回書いた教員免許更新制の撤廃は、真面目に働いている現場教員として、諸手を挙げての大賛成である。
先生に余裕ができて幸せになれば、結果的にそこに教わる子どもたちへプラスの影響が出る。
当たり前の話である。
だったら、子どもにも幸せな子ども時代を過ごさせてあげていいのではないか。
夏休みには、思い切り汗をかいて目いっぱい非日常の体験をして欲しいと願う。
学校の勉強は、9月辺りからまた学校でがんばればいいのである。
(そもそも、夏休みにまで必死に取り組まなければならないような、そんなた大した内容を学校で教えていない。
学校教育でつけるべき学力は、家庭ではなく学校でけりをつけるべきことである。)
また学校から夏休みの宿題が全く出ないのは、受験勉強をがんばりたい子どもにとってもいいことである。
自分のやるべき課題に全神経を集中できる。
そこに「なつやすみのきろく」のような無駄なものがあると、その完成に変なプレッシャーを感じてしまうのである。
(受験をするのにこれをきちんと書かないと不利になるのではないかとか、そういう変な心配をして完成度を上げる子もいる。)
学校に当然当たり前にあったものが、今できなくなっている。
その点では、学校の当たり前を見直すのに、今はいい機会である。
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