2021年2月9日火曜日

放っておくという気づかい

 学級経営の話であり、人付き合いや仕事全全般における話。


タイトルは、次の本の中からとったものである。

『ディズニーと三越で学んできた日本人にしかできない「気づかい」の習慣 』

上田比呂志著 クロスメディアパブリッシング



2011年刊行の本だが、内容は時代を越えて普遍的に通用することばかりである。


この中に「高級旅館のつかず離れずの距離感」というものが紹介されている。

来て欲しい時以外には来ない、手を出して欲しい時以外には手を出さない。

無関心なのではなく、気づかっているからこそ、放っておく。

この絶妙なバランス感覚が大切なのだという。


これは学級経営に応用できる。

例えば、子どもたちが係活動や当番活動をしている時。

基本的には、手出しをしない方がいい。

多少失敗しそうでも、本人と周囲に危険が及ばない限りは、あえて放っておく。

学級担任のこの姿勢が、主体的な子どもを育成するためには必須である。


授業でも同じである。

課題を提示する。

子どもがそれに一生懸命に取り組む。

その間、余計な手出し口出しは控える。


その代わり「助けて欲しい人は呼んでください。私は暇しているので」と伝えておく。

自分から「助けを求める力」をここで養う。

「助けて力」は決して受動的なのではなく、この意味で主体的だともいえる。


仕事でも同じである。

仕事をふる。

余計な手出し口出しはしない。

ただし、本当に無関心ではいけない。

あくまで見守って、進捗の状況は確認する。

仕事はふって終わりではなく、ふった仕事が無事完了するのを見届けて終わりである。


だから仕事は、人にふる方が逆に面倒なことも多い。

慣れていない相手であれば、要領も当然悪いし、失敗もする。

しかし、それによって、仕事をふられた人が成長する。


放っておくという気づかいで、遠目に見守る。

アドバイスを求められたら、そこはふった側が答えたり教えたりする義務がある。

自分でやったら早いかもしれないが、それではいつまでも自分でやることになる。


仕事をふるというのは、子どもに対してもいえる。

何でもお世話して先回りしてやってあげてしまうというのは、特に低学年の学級担任が陥りがちな失敗である。


1年生だからといって、なめてはいけない。

何でもやらせてみたら、相当できる。

何と言っても、幼稚園時代には元「最年長」だったのである。

幼稚園の先生は、園児にかなりの責任と裁量権を与えて負荷をかけ、鍛えてきたのである。

入学したての頃はまだしも、もうそんなに優遇してあげなくて大丈夫である。


やらせないと、いつまでもできない。

だから任せる。

任せると、手出し口出しをしたくなる。

しかし、敢えてしない。

これが、上等な放っておくという気づかいである。


何でも抱え込んでしまう人や、気づかいが過ぎる人もいるかと思い、書いた。

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