学級経営の話であり、人付き合いや仕事全全般における話。
タイトルは、次の本の中からとったものである。
『ディズニーと三越で学んできた日本人にしかできない「気づかい」の習慣 』
2011年刊行の本だが、内容は時代を越えて普遍的に通用することばかりである。
この中に「高級旅館のつかず離れずの距離感」というものが紹介されている。
来て欲しい時以外には来ない、手を出して欲しい時以外には手を出さない。
無関心なのではなく、気づかっているからこそ、放っておく。
この絶妙なバランス感覚が大切なのだという。
これは学級経営に応用できる。
例えば、子どもたちが係活動や当番活動をしている時。
基本的には、手出しをしない方がいい。
多少失敗しそうでも、本人と周囲に危険が及ばない限りは、あえて放っておく。
学級担任のこの姿勢が、主体的な子どもを育成するためには必須である。
授業でも同じである。
課題を提示する。
子どもがそれに一生懸命に取り組む。
その間、余計な手出し口出しは控える。
その代わり「助けて欲しい人は呼んでください。私は暇しているので」と伝えておく。
自分から「助けを求める力」をここで養う。
「助けて力」は決して受動的なのではなく、この意味で主体的だともいえる。
仕事でも同じである。
仕事をふる。
余計な手出し口出しはしない。
ただし、本当に無関心ではいけない。
あくまで見守って、進捗の状況は確認する。
仕事はふって終わりではなく、ふった仕事が無事完了するのを見届けて終わりである。
だから仕事は、人にふる方が逆に面倒なことも多い。
慣れていない相手であれば、要領も当然悪いし、失敗もする。
しかし、それによって、仕事をふられた人が成長する。
放っておくという気づかいで、遠目に見守る。
アドバイスを求められたら、そこはふった側が答えたり教えたりする義務がある。
自分でやったら早いかもしれないが、それではいつまでも自分でやることになる。
仕事をふるというのは、子どもに対してもいえる。
何でもお世話して先回りしてやってあげてしまうというのは、特に低学年の学級担任が陥りがちな失敗である。
1年生だからといって、なめてはいけない。
何でもやらせてみたら、相当できる。
何と言っても、幼稚園時代には元「最年長」だったのである。
幼稚園の先生は、園児にかなりの責任と裁量権を与えて負荷をかけ、鍛えてきたのである。
入学したての頃はまだしも、もうそんなに優遇してあげなくて大丈夫である。
やらせないと、いつまでもできない。
だから任せる。
任せると、手出し口出しをしたくなる。
しかし、敢えてしない。
これが、上等な放っておくという気づかいである。
何でも抱え込んでしまう人や、気づかいが過ぎる人もいるかと思い、書いた。
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