2020年4月16日木曜日

自分の頭で考える

ウィルスに関わる世界中のデマがすごい。
日本ではトイレットペーパー騒ぎが記憶に新しい。
アメリカでは、アルコール消毒代わりにウォッカが効くというデマが出回ってたという。

咳をしただけ、あるいは特定の国の人というだけで、犯罪者のような扱い。
さらには感染とは全然関係ない人がデマの被害に晒され、名指しで批判されている。
(関係があるとしても、批判している人には全く関係ないことである。)

人権侵害も甚だしい。
まさに言語道断である。
戦争中の混乱とほぼ同じである。

どうしてこうなるのか。

ずばり、自分の頭で考えていないからである。
他人の頭で考えたことを、鵜のみにしているからである。

この便利すぎる世の中において、「自分の頭で考える」ということが、習慣から消えているのではないか。
一時期、人間がAIに乗っ取られるということが話題になっていたが、つまりはこういうことである。

今は道案内一つとっても、機械がしてくれる。
それによって、自分の頭で道を覚えなくなった。
電車の乗り換え予定はアプリが教えてくれるから、提示された選択肢から選ぶだけで、時刻表を読む必要も考える必要もない。
自分自身を振り返っても、これらのことは例外ではない。

何も考えなくても、ネットニュースが情報を瞬時に伝えてくれる。
「専門家」の意見も最新で手に入る。
「専門家」のものが「みんな知ってる」という「常識」に早変わりである。
(やたらと「 」を多用しているのは、それが本来の意味からすると、誤用だからである。)

「みんながこう言ってる」というのは、大抵怪しい。
怪しいというより、嘘である。

教師の立場の人ならわかると思うので、思い返してみて欲しい。
子どもの「クラスのみんなに悪口を言われる」という相談の99%は、その子の属す三人組の中の一人か二人からの悪口である。

ある保護者に「みんなこう言ってます」と言われた場合、99%がその人ともう一人程度の意見である。
(本当に気合いの入った人は、あくまで「私の意見」として正面から堂々と伝えてくる。)

要は、二人以上の意見は「みんな」になる。

そして専門家の意見は、一発で「みんなの常識」になる。

このウィルス解決の道標を示してくれる専門家は、現在いないのである。
みんな必死に研究してくれていて、何とかしようと試行錯誤中である。
だから、これら誠実な研究者の方々に、今現在、我々民衆が助けを求めても、どうにもしようがない。

上が頼れない、専門家不在となると、混乱する。
何が起きるか。
マスメディアを中心とした、デマゴーグを流すにわか情報屋、商人や詐欺師にとってのチャンスである。
ここに現在はSNSの負の面が強力に作用する。

これに我々民衆は、コロッと騙される。
「溺れる者は藁をもつかむ」からである。
マス(大衆)メディアは、人心操作そのものこそが専門である。
混乱期には、非人道的で滅茶苦茶なことでも、刷り込むことができる。
日本は、戦争の経験からも、よくわかっていることである。

マスメディアは、「流行」を普段から意図的に作っている。
流行アニメや映画、アイドルを売り込むのもお笑いの一発ネタを子どもまで広めるのも、タピオカミルクティーを流行らせるのも、メディアである。
普段から「オトク情報」「美味しいもの」「楽しいもの」を提供してくれているから、民衆のメディアに対する警戒心の壁は相当低い。
実際、いいものも相当数含まれているから、そうでないものと見分けがつかない。

特に「みんな」に受け入れられて売れているものや、感動するものは、無条件に「良い」という視点をもちやすいので、要注意である。
子ども時代から当たり前として受け入れているから、裏にある意図や商業的な真のねらいに気付けない。
流行の真っ只中に一緒に流されていると、自分の立ち位置が見えない。

自分の頭で考えていないのである。
「みんがいい」というものは、正しい、価値があると信じ込んでしまう。
Google検索で上位に来たものはいいし、ランキング上位のものがいい。
人気投票で上位に来たものは全て優れている。
ブランドものだからいいものだ。
あの著名な人が言ってるのだから間違いない。

結果、一極集中で攻撃したり行列ができたりする、昆虫かあるいは動物の群れと同じ動きになる。
「みんながやっているのだから間違ない」のである。
これは人間の動物化というべきか、逆に機械化というべきか。
いずれにしろ、人間の人間たる部分から遠ざかっていることは間違いない。

自分の頭で考えるのである。
学校教育で最も強調していることである。
しかしながら、実態は、自分の頭で考えるよりも、誰かの頭が考えた正解を探り当てる力をつけているようである。
忖度という言葉が流行するぐらい、上司や人目ばかりを気にして生きる社会人を、せっせと育てている現状がある。

自分の頭で考える。
何でも無条件に言うことをきく「お利口さん」を育てても、これはできない。
かといって、何でも自分のことしか考えない自分勝手な人間にしても、「買占め行為」のようなことになってしまう。

子どもには自己選択・決定権を与えつつ、自分と社会の両方の幸福を考えるように教育していく必要がある。
宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」の言葉の通りである。

自分の頭で考える。
言うは易く、行うは難しの、重要項目である。

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