2020年4月21日火曜日

低・中・高学年別 子ども集団の傾向

以前、「みんな」で捉えることの危うさについて書いた。
さらに「人は時に応じて正反対のことを言う」ということについても書いた。

よって、今回は、「みんな」で捉えることの有用性について書く。

「みんな」という生き物は存在しない。
一方で、傾向はある。
「傾向」とはgoo辞書によると
==================
物事の大勢や態度が特定の方向にかたむくこと
==================
とある。

その集団に特定の傾向があるというのは、100%ではないが、集団の構成員の複数がその性質を示すような場合を指す。
つまりは、一定の妥当性のある「ステレオタイプ」ともいえる。

例えば
「腕力において、平均的に見て、男性の方が女性より強い」
といった見方は、もちろん全員には当てはらまらないものの、平均値としては事実である。
オリンピック等を見れば、世界的に見ても明らかである。
一方で、重量上げの女性メダリストに一般的な男性が勝てるかというと、そんな訳がない。
あくまで平均的な話である。

平均的な話ではあるが、ものごとの集団的傾向として見るのには役立つ。
ざっくりな捉えの方向を間違えないために有用である。
(一方で、そこに当てはまらない個が確実にいることを忘れないのが鉄則である。)

学級経営について、経験則だが傾向がある。
こうすれば成功する方法ではなく、ここを外すと失敗する方法と考えると使いやすいはずである。

低学年の学級は、自由にさせすぎて失敗する。
集団傾向が元来自由な性質なので、最初だけきちんと教え導く必要がある。
特に技能を身に付けるべきところでいきなりやらせたら、滅茶苦茶である。
話をきちんと聞いてあげつつ、正しい方向にそのエネルギーが向くよう導いてあげる必要がある。
単なる群れを、集団、チームへ成長させていく必要がある。
「先生大好き」「うちの子、先生の言うことなら聞くんです」という時期である。
(ここで勘違いして、逆に異様に規律を強くすると、次年度以降で危険である。あくまでほどほど、中庸である。)

中学年の学級は、抑えすぎか自由にさせすぎで失敗する。
どこまで許容されるか、大人を試す時期である。
低学年の時と違い、一通りのルールや常識について共通理解している。
その上で、越えてくるのがこの時期。
これはいいけどこれはやりすぎ、というラインを教える時期である。
「丁度いい塩梅がいい加減」な時期である。
先生との関係と友達関係が半々という塩梅の時期である。

高学年の学級は、抑えすぎで失敗する。
自ら動いて変えていくという力を、最も意識的に伸ばすべき時期である。
中学年までで「忖度」的なものを身に付けすぎてしまい、動けなくなっていることもある。
周りの目を気にする時期であり、集団の中の自分の位置付けが死活問題なのである。(特に女子にこの傾向が強い。)
先生との関係よりも、友達との関係が最重要となる時期である。
つまり、先生という立場に、ルールの担保や安全確保といった保安的役割を求められる部分が強い。
あまりべたべたするよりも、大人になろうとしているのを認めて接する時期である。

この辺りの接し方については、拙著にも色々書いてある。
詳しく知りたい方は、読んで参考にしていただければ幸いである。

【参考】
◎『お年頃の高学年に効く!こんな時とっさ!のうまい対応』
https://www.amazon.co.jp/dp/4181406237
◎『ピンチがチャンスになる「切り返し」の技術』 重版10刷になりました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4181907120

これらはあくまで「みんな」的傾向ということも忘れてはいけない。
低学年にもほとんど教えず自主性に任せる子どももいるし、いっぱい接して丁寧に教えてあげるべき高学年の子どももいる。
最終的には、あくまで個である。

さらに、個は集団によって変質する。
ある子どもがAの集団では引っ込み思案なのに、Bの集団ではリーダーということもざらである。
集団と個を分断せず、連動するものとして捉えていきたい。

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