2016年4月25日月曜日

「売り方」より「在り方」

どう売るかは、大切である。
どんなにいいモノであっても、知ってもらわねば人の手に渡らない。
経済用語で「マーケティング」などというが、ここはあながち軽視できない。
宣伝はしっかりして、まずは人々に知ってもらう必要がある。
(という訳で一応宣伝。ぜひご一読いただきたい。)
『ピンチがチャンスになる「切り返し」の技術』
http://www.amazon.co.jp/dp/4181907120

しかし、それ以上にもっと大切なのは、その商品の内容そのものである。
宣伝してせっかく買ってもらっても、内容が悪ければ、トータルでマイナスである。
それなら、買ってもらわない方がよかったということになる。

つまり、「売り方」以上に「在り方」である。
本でいうなら、ロングセラーのものは、在り方、つまり内容そのものがいいのである。

これは、授業やその他の指導にも当てはまる。

教材の提示の仕方から、指示、発問の仕方、活動内容まで、どう教えるか。
これは、先の話でいうと、「売り方」にあたる。
そもそも興味を持ってくれないと、話が進まないのだから、大切である。

一方、それはどんな人物が教えているのか。
本気で、その教材のどんなところが良いと思って授業しているのか。
普段どんな言動で、どんな感じ方をしているのか。
これは、先の例の「在り方」にあたる。
教え方の技術があっても、こっちがなければ、言葉に重みもない。
逆に、教え方は割と普通でも、子どもがよく育つクラスは、教師の人間性が優れている可能性が高い。

先日、私の尊敬するあるベテランの先生に会って、道徳の授業について話す機会があった。
この先生のクラスの子どもは、毎年ものすごく元気になって、自発的になって、いきいきするのである。
さらに、礼儀正しくなって、根性がついて、人に優しくなる。
ついでに、悔しいことに、学力も体力もばっちりつく。
まあ、無敵である。
さぞ道徳の授業にも力を入れているかと思いきや「実は、かなり適当で・・・」とのこと。

しかし、私は知っている。
この先生は、普段から、めちゃくちゃ熱いのである。
まず、いつもニコニコしている。
そして、これでもかというぐらいよく褒めたり驚いたりする。
職員室でもそういうことを嬉しそうに話すので、子どもが本当に好きだとよくわかる。
(ついでに、学年の仲間など周りの職員に対してもめちゃくちゃ感謝して、いつも褒めている。
「陰口」ならぬ「陰褒め」もよくしている。)
上っ面でなく、子どものやることに本気で感動しているのである。
そして、悪いことをするとかなり怒る。
本気で怒る。
しかも、すぐ泣く。
感動しても泣くし、子どもが悪いことをしてもその行為を哀しんで一緒に泣く。

こうやって文字にすると、感情的でダメだという見方をするかもしれないが、ご本人を見れば恐らくその感想はなくなる。
教え方以上に、教師としての「在り方」が違うのである。
だから、ご本人曰く「適当」な道徳授業でも、かなり芯のある子どもに育つ。

在り方。
どう在るのか。
背中である。
技術は無論大切だが、そこではないところに、本質があると思う次第である。

歴史の鉄則 便利と義務

最近読んだ本からの気付き。 次の本から、一文を引用する。 『サピエンス全史 上 文明の構造と人類の幸福』 ユヴァル・ノア・ハラリ 著 柴田 裕之 訳 河出書房新社 http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309226712/ ======...

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