2015年6月7日日曜日

注意された時の反応で決まる

前号の「嫌アプローチ」に関連して、素直さという話。
私が以前からお世話になっているある校長先生が、素直であることの大切さについて語られていた。
次のようなお話だった。

注意されるとすぐ泣く子どもがいる。
周りは「かわいそう」とか思うかもしれないが、それは違う。
注意されて泣くという行為は、「意固地」の現れともいえる。
相手の言葉を受け容れず、素直でないということ。
心のコップが上を向いていれば、素直に受け容れる。
素直に受け容れる子どもは、泣かない。
素直な子どもは、人からかわいがられる。
かわいがられる人には、周りの人が声をかけてくれる。
人が集まってくる。
結果、素直な子どもは幸福になる。

その通りだと思い、深く頷きながら聞き入っていた。
これまでの経験上、素直な子どもは伸びると確信を持って言える。
逆に、素直でない子どもは、あまり良い思いができないことも知っている。

例えば、良くない行為について注意したとする。
Aさんは、「ごめんなさい」と言って、すぐに直す。
もっとすごいと「教えてくれてありがとうございます。」と後になって感謝の言を述べる。
(実際にこういう子どもは、学年を問わず必ず存在する。)
素直に受け容れるので、周りも色々教えたいと思う。
誰しも、何かある時には、Aさんにお願いしたいと思う。
結果、人も役割も集まってくる人物になる。

Bさんは、注意されるとすぐふてくされたり、泣いたりする。(または怒る。)
もっとひどいと、後で陰で周りに愚痴ったり、注意した人を逆恨みしたりする。
泣いたり騒いだりするので、注意した人はもちろん、周りもいたたまれない気持ちになる。
Bさんに何か言うと、全ての人の気分が悪くなるので、誰も注意しなくなる。
間違っていても誰にも何も言われない、ものも頼まれない、近付かれないという状態になる。
「触らぬ神に祟りなし」という状態になる。

この反応については、注意する側は選べない。
その時の相手次第である。
しかし、今述べたような話を常々して、どういう反応をするのが結果的に良いかを指導することはできる。
素直さの在り方を示すことはできる。

では、学校教育において、どうやってその素地を作るのか。
(次号に続く。)

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