2015年6月18日木曜日

感謝の心を持つ

自分のブログを見直していて、アクセス数が多い記事がいくつかあったので眺めていると、次のものがあった。
もう4年近く前の記事である。

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感謝の話を子どもにした時、次のように言葉が返ってきた。
「今日の感謝は、先生が授業してくれたことです。」
感謝に耐える授業をしていたかは相当疑問だが、そこは別として、嬉しい言葉である。

次のように返答した。
「ありがとう。
先生も、みんなに感謝しています。
先生が授業するのは、仕事だから当たり前ですよね?
みんなが授業を一生懸命聞くのも、そうすべきことですよね?
でも、そういう当たり前のことに感謝するのって、すごく大切です。
もしお母さんに、母親はご飯つくるのが当たり前でしょって言ったら、大変なことになりますよね?
当たり前のようにしてもらえることに感謝する素直な心を持ちたいですね。」

子どもの言葉にはっとさせられた。
一生懸命授業を受けてくれる子ども達に、深く感謝の念を持ちたい。
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6月。忙しいと感じている人が多い。
自分も、公開研究会を控えていて、今は尚更である。
じゃあ、大変なら明日からもう来なくていいよと言われたら、それは困る。
仕事ができるということの有り難さを見直す機会である。

高校、大学、採用試験と、受験をし続けて切望して就いた教職の仕事。
そして尊敬する先生が勤務していたこの学校で働けることの有り難さ。
そこに送り出してくれた方々。
ここまで関わらせてもらった全ての人たちと、今目の前で関わらせてもらっている全ての人たち。
このこと自体にも、改めてもう一度感謝の念を持ちたい。

教育における「おそれ」の必要性

前号で、教育の世界はポジティブ用語を好むという話を書いた。 ポジティブは必ずネガティブと裏表セットである。 教育において、恐怖という言葉は、忌み嫌われやすい。 しかし、安全・安心とルールを担保するために、恐怖は必要になる。 恐怖という言葉にどうしても抵抗があるなら、「こ...

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