「何のためにやるのですか。」
「ねらいは何ですか。」
「どうなればいいのですか。」
何かをする時、子どもに尋ねる。
掃除一つとっても、運動会や修学旅行のような大きな行事でも同様。
ここを意識するだけで、動きの中身が変わってくる。
結果以上に、「何のために」が大切なことである。
教師の側にとっても、これは大切である。
「何のために」が抜けた活動は、やっていて何か空々しい。
ここで押さえるべき注意点がある。
子どもがどちらを大切と思っているかである。
子ども自身は、当然、結果が大切だと思っている。
しかし実際は、動機(何のために)がはっきりしている方が大切である。
「大会で優勝」という結果以上に、「何のためにやってきたか」が大きい。
結果が優勝でなくとも、得られるものがある。
しかしこれは、指導しないと気付かない。
放っておけば、勝つことや結果を出すことだけが目的化する。
勝ち負けへのこだわりは、幼児期に自然に獲得する。
一方で、何の為にやるのかという大きな目的は、ある種の志が必要になる。
負けた時や、思う結果が得られなかった時。
ここまでに得たものを振り返らせる。
また、この結果のお陰で得たものは何かを考えさせる。
次への活動につなぐ。
勝った時や、満足いく結果が得られた時。
何のためにやってきたのか、何を得たか振り返らせる。
誰のお陰があったのか、これをどう生かすのか考えさせる。
次への活動につなぐ。
勝とうが負けようが、どんな結果も生かす。
そのために「何のために」「ねらい」は、常にはっきりさせたい。
2014年1月14日火曜日
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