先日、教科書を読む子どもの声が張っていることを誉めていただく機会があった。
声の張りは学級のバロメーターの一つである。
(しかしながら、あくまで一つに過ぎない。)
張りのある声を出せる学級は、自分を表現しやすい風土を醸成する。
活気のある学級作りのベースになる。
やたらに大きい声ではなく、あくまで張りのある声を出せるようにする。
あいさつと同様に考える。
ぼそぼそではきこえない。
一方、至近距離なのにやたら大きな声であいさつされると、不快である。
相手にきちんと届く張りのある声であれば良い。
はっきり言えれば良い。
教科書を一斉に読むような時には、全体で読んでいる中でも自分の声がはっきり耳にきこえるようにする。
そうすると、全体で読んでいる中でも、読み間違えるのがはっきりわかる。
その時は、すかさず誉める。
間違えたのがわかるのは、声を張ってはっきり読んでいる証拠である。
特に鳥の群れの先頭の一羽の如く、リーダー的に声を出す子どもが間違えると、全員間違えることがある。
それぐらい、普段から周りに貢献している証拠である。
間違えた時の対応が「報酬」になるか「罰」になるかは、大切である。
前向きなチャレンジには、報酬に限る。
張った声を出せた方に重きを置く。
つまり、声が張っているのは、間違えても大丈夫、という自信の表れにもなる。
学級のバロメーターの一つ、という理由である。
2014年1月12日日曜日
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