夏休み中、たくさんのことを学んだ。
この瞬間、やる気にあふれているのだが、長くは続かない。
その内、忘れてしまう。
もう、あれは何だったの、というぐらい忘れ去る。
何とかと秋の空、の如くである。
やる気や感動は、生ものである。
放っておくと、どんどん腐敗が進む。
驚くぐらい忘れていく。
大切なのは、即実践。
「知行合一」が大切である。
せっかく得た学びを、いつ生かすのか。
2学期、せっかく学んだことを一つは生かして実践したい。
2013年9月26日木曜日
「先生、暇そうだね」
教育相談について学んだことのシェア。
子どもが相談しやすい教師とはどういう教師か。
その一つに、「先生、暇そうだね」と子どもに言われるようにせよ、ということ。
何だかそんなこと言われたら心外な気もするが、要は次のような理由からである。
仕事はやりだすときりがない。
休み時間も前の時間に集めたノートだったりその日の宿題や連絡帳だったりと見るものが大量にある。
結果、常に「忙しい雰囲気」を醸し出してしまう。
自分達の立場になって考えてみるとわかる。
例えば教頭や教務などにお願いをしたり、校長に相談をする場面。
相手の状況を見て話しかける。
しかしこれらの立場の人達は、校内で最も忙しく、何かしていることが多い。
結果、なかなか話しかけられずに気がついたら退勤、というような経験がある方も多いのではないだろうか。
要は、忙しそうにしている人には相談しにくいということ。
四六時中何かしていると、子どもは話しかけるタイミングがない。
結果、先生には相談できない、話をきいてくれない、という風になりがちだという。
一生懸命やることは大切である。
しかしその際、目的を見失うことがしばしばある。
教育の目的は何なのか。
子どもの人格の完成(を目指すこと)である。
宿題も何も全ての仕事が目的へ向かう手段である。
子どもと話すことは、「教師理解」と「子ども理解」両方を深める。
更にいじめ発見や悩みの解消などの為にも役立つ、大切な仕事の一つである。
「一生懸命、暇そうに見せる」
暇そうに見せるには、結果、より多くの努力と工夫が必要になる。
矛盾するようだが、それが真理。
大切なことを学ばせていただいた。
子どもが相談しやすい教師とはどういう教師か。
その一つに、「先生、暇そうだね」と子どもに言われるようにせよ、ということ。
何だかそんなこと言われたら心外な気もするが、要は次のような理由からである。
仕事はやりだすときりがない。
休み時間も前の時間に集めたノートだったりその日の宿題や連絡帳だったりと見るものが大量にある。
結果、常に「忙しい雰囲気」を醸し出してしまう。
自分達の立場になって考えてみるとわかる。
例えば教頭や教務などにお願いをしたり、校長に相談をする場面。
相手の状況を見て話しかける。
しかしこれらの立場の人達は、校内で最も忙しく、何かしていることが多い。
結果、なかなか話しかけられずに気がついたら退勤、というような経験がある方も多いのではないだろうか。
要は、忙しそうにしている人には相談しにくいということ。
四六時中何かしていると、子どもは話しかけるタイミングがない。
結果、先生には相談できない、話をきいてくれない、という風になりがちだという。
一生懸命やることは大切である。
しかしその際、目的を見失うことがしばしばある。
教育の目的は何なのか。
子どもの人格の完成(を目指すこと)である。
宿題も何も全ての仕事が目的へ向かう手段である。
子どもと話すことは、「教師理解」と「子ども理解」両方を深める。
更にいじめ発見や悩みの解消などの為にも役立つ、大切な仕事の一つである。
「一生懸命、暇そうに見せる」
暇そうに見せるには、結果、より多くの努力と工夫が必要になる。
矛盾するようだが、それが真理。
大切なことを学ばせていただいた。
2013年9月24日火曜日
重きものは軽き如くに
「重きものは軽き如くに
軽きものは重き如くに」
最近読んだ本で知った言葉で、茶道の心得の一つだそうである。
例えば箸のような軽いものこそ、両手できちんと扱うと、所作が美しく見える。
逆に重たいものの時、いかにも重そうに運んでは凡庸。
本当は重たいのに、いかにも軽々と運ぶ。
軽くやせ我慢だが、これがスマートに見えるコツだそうである。
ここ数回「すごい人」「尊敬する人」について書いてきていて、ピンときた。
すごい人達は、面倒なことをあっさりやる。
ちょっとしたことを、丁寧にやる。
何度も書いているが、例えば葉書や手紙。
書くのは結構億劫なはずなのに、会ったその日や帰りの新幹線でもう書いてたりする。
凡庸なこちらが「よーし、明日自分から書こう!」と気合いを入れていると、もう相手から届いている。
例えば、お辞儀。
軽くやってしまいがちである。
すごい人は姿勢を正し、相手より深く長い礼をする。
それも、ごく自然にやる。
お辞儀一つでもかなわない。
例えば、長距離の移動。
お金も時間もかかる。
北海道だろうが沖縄だろうが、必要ならあっさり行く。
(多分、実際は懐が痛むはずである。遠方になれば、家族の合意もいるだろう。)
例えば、講演。
膨大な時間をかけてたくさん準備している。
しかし、全部出さない。
状況を見て、あっさり引っ込める。
授業でも同様である。
緊張している様子も見られない。
(後でご本人にきくと「実は無茶苦茶頑張ってた」ということも多い。)
懇親会のような場でも、小さな気配りをさらっとやっている。
どちらが講師かわからない。
「重きものは軽き如くに
軽きものは重き如くに」
物事の本質を捉えた実にいい言葉だと思ったので、紹介した。
軽きものは重き如くに」
最近読んだ本で知った言葉で、茶道の心得の一つだそうである。
例えば箸のような軽いものこそ、両手できちんと扱うと、所作が美しく見える。
逆に重たいものの時、いかにも重そうに運んでは凡庸。
本当は重たいのに、いかにも軽々と運ぶ。
軽くやせ我慢だが、これがスマートに見えるコツだそうである。
ここ数回「すごい人」「尊敬する人」について書いてきていて、ピンときた。
すごい人達は、面倒なことをあっさりやる。
ちょっとしたことを、丁寧にやる。
何度も書いているが、例えば葉書や手紙。
書くのは結構億劫なはずなのに、会ったその日や帰りの新幹線でもう書いてたりする。
凡庸なこちらが「よーし、明日自分から書こう!」と気合いを入れていると、もう相手から届いている。
例えば、お辞儀。
軽くやってしまいがちである。
すごい人は姿勢を正し、相手より深く長い礼をする。
それも、ごく自然にやる。
お辞儀一つでもかなわない。
例えば、長距離の移動。
お金も時間もかかる。
北海道だろうが沖縄だろうが、必要ならあっさり行く。
(多分、実際は懐が痛むはずである。遠方になれば、家族の合意もいるだろう。)
例えば、講演。
膨大な時間をかけてたくさん準備している。
しかし、全部出さない。
状況を見て、あっさり引っ込める。
授業でも同様である。
緊張している様子も見られない。
(後でご本人にきくと「実は無茶苦茶頑張ってた」ということも多い。)
懇親会のような場でも、小さな気配りをさらっとやっている。
どちらが講師かわからない。
「重きものは軽き如くに
軽きものは重き如くに」
物事の本質を捉えた実にいい言葉だと思ったので、紹介した。
2013年9月22日日曜日
すごい人が皆謙虚な訳
すごい人はみんな謙虚である。
その理由が何となくだがわかった。
「謙虚」を辞書で引く。
「ひかえめですなおなこと。謙遜。」(広辞苑)
「へりくだって控えめなさま。
おごりたかぶらず素直なさま。」(明鏡)
謙虚は「素直」とほぼ同義。
素直さに控えめな様子を足したものが謙虚とも読める。
ところで「あなたは素直ですか」ときかれたら、どう答えるだろうか。
自分は、なかなか「素直です」と堂々と即答できない。
自分自身、素直なつもりで、実践できてない面が多いのを知っている。
素直なら
教えられた通りにやる
(だから、正しい方法が身に付く)
素直なら
すすめられたことはすぐに実行する
(だから、良いものや習慣がどんどん周りに増える)
素直なら
わからない時は、堂々とわからないから教えてくださいと言える
(だから、知識が増え、過ちもすぐに正せる)
即ち、素直さは実行力を伴う。
良いとわかっていることを先延ばししない。
素直さ=実行力と言ってもいい。
ここが実に難しい。
さらに、素直になるには「今の自分」を捨てる覚悟がいる。
言い訳や自分に都合のいい解釈をしない。
変革が伴う。
常に「スクラップ&ビルド」である。
すごい人は、常に向上し変化し続けている。
そう考えると、すごい人が謙虚の性質を持つのは、至極当然のことのようである。
その理由が何となくだがわかった。
「謙虚」を辞書で引く。
「ひかえめですなおなこと。謙遜。」(広辞苑)
「へりくだって控えめなさま。
おごりたかぶらず素直なさま。」(明鏡)
謙虚は「素直」とほぼ同義。
素直さに控えめな様子を足したものが謙虚とも読める。
ところで「あなたは素直ですか」ときかれたら、どう答えるだろうか。
自分は、なかなか「素直です」と堂々と即答できない。
自分自身、素直なつもりで、実践できてない面が多いのを知っている。
素直なら
教えられた通りにやる
(だから、正しい方法が身に付く)
素直なら
すすめられたことはすぐに実行する
(だから、良いものや習慣がどんどん周りに増える)
素直なら
わからない時は、堂々とわからないから教えてくださいと言える
(だから、知識が増え、過ちもすぐに正せる)
即ち、素直さは実行力を伴う。
良いとわかっていることを先延ばししない。
素直さ=実行力と言ってもいい。
ここが実に難しい。
さらに、素直になるには「今の自分」を捨てる覚悟がいる。
言い訳や自分に都合のいい解釈をしない。
変革が伴う。
常に「スクラップ&ビルド」である。
すごい人は、常に向上し変化し続けている。
そう考えると、すごい人が謙虚の性質を持つのは、至極当然のことのようである。
2013年9月20日金曜日
すごい人は「子ども」
「本物の方と会うと、あまりにも皆、子どもなのでびっくりすると思います。」
(「忘れる練習・記憶のコツ」
アルボムッレ・スマナサーラ著 サンガ新書より引用)
以前紹介したことのある「怒らないこと」と同じ著者の本である。
この一文が、最近感じていたことにすごくマッチして、引っかかった。
色んな分野の「すごい人」に会って、話をきく。
教育関係以外に、一般企業の方と近づける機会もある。
「すごい!」と思う人は、みんなものすごい、「子ども」である。
何だか失礼に当たりそうなので、あからさまに個人名は出せない。
自分の尊敬する人を複数思い浮かべて勝手に分析し、その共通点を挙げてみる。
1 好奇心が異常な程強く、常に本を読んだり調べたりしている。
2 色んなところによく出かける。
3 礼儀正しく、腰が低い。礼が深い。(相手が目下の場合は、尚更。)
4 手紙を色んな人へよく出す。
5 意外な所でラフ。変な所がある。(癖がある。隙がある。)
6 色んな人に話しかけて、質問しまくる。
7 笑った顔が、子どもっぽい。
8 決めてから実行するまでが尋常でないほど速い。
9 口約束を必ず守る。
10 素直(吸収力がすごい。)
挙げてみると、ほとんどが「子ども」の要素である。
(3、4、9辺りは、礼儀正しさに関わる面で、大人として獲得するものかもしれない。)
すごい人は「礼儀正しい」+「子どもっぽい」が、キーワードのように思った。
(「忘れる練習・記憶のコツ」
アルボムッレ・スマナサーラ著 サンガ新書より引用)
以前紹介したことのある「怒らないこと」と同じ著者の本である。
この一文が、最近感じていたことにすごくマッチして、引っかかった。
色んな分野の「すごい人」に会って、話をきく。
教育関係以外に、一般企業の方と近づける機会もある。
「すごい!」と思う人は、みんなものすごい、「子ども」である。
何だか失礼に当たりそうなので、あからさまに個人名は出せない。
自分の尊敬する人を複数思い浮かべて勝手に分析し、その共通点を挙げてみる。
1 好奇心が異常な程強く、常に本を読んだり調べたりしている。
2 色んなところによく出かける。
3 礼儀正しく、腰が低い。礼が深い。(相手が目下の場合は、尚更。)
4 手紙を色んな人へよく出す。
5 意外な所でラフ。変な所がある。(癖がある。隙がある。)
6 色んな人に話しかけて、質問しまくる。
7 笑った顔が、子どもっぽい。
8 決めてから実行するまでが尋常でないほど速い。
9 口約束を必ず守る。
10 素直(吸収力がすごい。)
挙げてみると、ほとんどが「子ども」の要素である。
(3、4、9辺りは、礼儀正しさに関わる面で、大人として獲得するものかもしれない。)
すごい人は「礼儀正しい」+「子どもっぽい」が、キーワードのように思った。
2013年9月18日水曜日
道徳以前
過日、山口県の福山憲市先生という素晴らしい方のお話を再びきかせていただいた。
前にも書いたが、実践が、もはや別次元のレベルである。
私などからすると、ほとんど人間業とは思えない。
今回は道徳がテーマだった。
しかし、内容は完全に学級経営。
つまり、一時間の道徳どうこうの前に、学級経営なのである。
そこがあって、初めて一時間の道徳の授業に意味ができるということだった。
講座の最中に、福山先生が放った次のような一言に、頭をガツンと殴られた感じがした。
姿勢一つ変えられないで、道徳の指導云々とかできるのかということ。
全員に徹底させられないでどうするんですか、ということ。
最初は「テスト平均99点」に目を奪われ、どんな凄い算数の指導法があるのかと関心を寄せていた。
しかし、単なるハウツー、ではないのである。
根本・本質・原点が違う。
全員に、姿勢を正すことが当たり前ということすらできてない。
算数とか道徳とかそれ以前レベルである。
到底追いかけられる状態ではない。
有名な実践家の追試をしてもうまくいかないのは、その辺りに原因がある。
まずは、一点集中、一点突破。
何か一つでも、徹底できる部分を持ちたい。
前にも書いたが、実践が、もはや別次元のレベルである。
私などからすると、ほとんど人間業とは思えない。
今回は道徳がテーマだった。
しかし、内容は完全に学級経営。
つまり、一時間の道徳どうこうの前に、学級経営なのである。
そこがあって、初めて一時間の道徳の授業に意味ができるということだった。
講座の最中に、福山先生が放った次のような一言に、頭をガツンと殴られた感じがした。
姿勢一つ変えられないで、道徳の指導云々とかできるのかということ。
全員に徹底させられないでどうするんですか、ということ。
最初は「テスト平均99点」に目を奪われ、どんな凄い算数の指導法があるのかと関心を寄せていた。
しかし、単なるハウツー、ではないのである。
根本・本質・原点が違う。
全員に、姿勢を正すことが当たり前ということすらできてない。
算数とか道徳とかそれ以前レベルである。
到底追いかけられる状態ではない。
有名な実践家の追試をしてもうまくいかないのは、その辺りに原因がある。
まずは、一点集中、一点突破。
何か一つでも、徹底できる部分を持ちたい。
2013年9月16日月曜日
敬老日は「有り難い」日
敬老の日。
いわずもがな、人生の先輩を敬い感謝を示す日である。
普段から当然そうあるべきなのだが、意識して改めて、 という日である。
(シルバーシートの存在に近いと思う。
当然のことを敢えて意識させるためである。)
ところで、なぜこの時期なのか。
疑問に思ったらすぐ調べられる便利な時代である。
どうも、この時期が農閑期にあたるから、ということらしい。
一段落ついたところで、 先人の智恵を授かろうというねらいもあるらしい。
何事にも突き詰めると理由があるのだなぁと妙に納得。
年上を敬うべき。
かなり当たり前のことだと思う。
理由がいらないレベルの当たり前である。
しかし、「当たり前」のことを改めて考え、認識すると、「感謝」 になる。
もし感謝を示せる相手が身内にいるなら、それ自体が「有り難い」 ことである。
今や「人生七十古来稀なり」のはずが、 5万4千人以上の百歳越え。
有り難いことである。
敬老日 ありがとう言える 有り難さ
いわずもがな、人生の先輩を敬い感謝を示す日である。
普段から当然そうあるべきなのだが、意識して改めて、
(シルバーシートの存在に近いと思う。
当然のことを敢えて意識させるためである。)
ところで、なぜこの時期なのか。
疑問に思ったらすぐ調べられる便利な時代である。
どうも、この時期が農閑期にあたるから、ということらしい。
一段落ついたところで、
何事にも突き詰めると理由があるのだなぁと妙に納得。
年上を敬うべき。
かなり当たり前のことだと思う。
理由がいらないレベルの当たり前である。
しかし、「当たり前」のことを改めて考え、認識すると、「感謝」
もし感謝を示せる相手が身内にいるなら、それ自体が「有り難い」
今や「人生七十古来稀なり」のはずが、
有り難いことである。
敬老日 ありがとう言える 有り難さ
登録:
投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
若い先生方、あるいは教育実習生からなどでもよく聞くのが「叱れない」「注意できない」という悩みである。 子どもとの関係性が壊れるのが怖いのである。 ここについて述べる。 まず、叱るという行為だが、これは基本的には人間関係ができてからでないと、本来の正しい効果を期待できない。 叱る...
-
黒船来航 ↑上記をクリックすると、メルマガで紹介したパワーポイント資料の動画版が見られます。 (途中、演出のために何度か大きい音が出るので注意してください。)


