2023年10月1日日曜日

くだらない「かけ算論争」と決断できない教育現場

 小2で「かけ算論争」というのがある。

昔からある。

何と、半世紀近くも続いて決着しないのだという。

この「くだらなさ」に敢えてフォーカスしてみる。


例えば、次のような問題の場合である。


問:箱が3つあります。1つの箱にはみかんが5つずつ入っています。

  みかんはぜんぶで何個ありますか。


解:1箱あたり5個入りのものが3箱だから

  5×3=15 答え 15個


これで正解である。


ここの立式において「3×5」を認めよ、それが多様性の尊重だ、という議論である。

「多様性」が都合よく濫用されている昨今。

多様性の尊重とは、そういうことではない。


そもそも、この問題設定自体、どう見ても立式の意味理解を測定することを想定して作られている。

そうでなければ「みかんが5つずつ入った箱が3つあります。」という問題にしているはずである。

ちなみにこれは、演算上の「5×3=3×5」が成立するという話とは全く別の話である。

演算の話ではなく「小学校段階におけるかけ算の意味理解」を問うている問題である。


またある調査によると「8割越えの教員や塾講師」が「どちらでもよい」と回答したという。

この「適当」さに違和感しかない。

(授業で国語の学力がつかないことにも通じる。

「正解」がわからない以上、進んでいるのかぐるぐる回っているだけなのかわからない。)


ちなみに、「8割越え」の内訳を考えてみると、数のトリックに気付く。

この調査は「大手予備校」が「SNS」でたった「100人」を対象にしたアンケートである。

塾講師と小学校教員の比率も全くわからない。

(その塾の講師99人と小学校教員1人かもしれない。

もし塾の方針で「両方〇」と共通理解されていれば、当然そうなる。)

塾講師と小学校教員では、求められるものも何もかもが全く違う。


この程度の数字のトリックにほいほいとかかってしまうのが、SNSが主流の現代社会の病理である。

情報量が多すぎるせいで、よく考えずイメージで「適当」に判断する習慣が蔓延してしまっている感が否めない。


実際に、この問題を授業で扱う時、どうするか。

当然「この場合は3×5と5×3、どちらが正解か、どちらも正解といえるか」は必ず議論する。

だから、テストでは当然正解が定まる。

正解でないものは、不正解である。

事前に確認してあることであり、文句の出ようがない。


実際に見たことがないが、首尾よく授業中に見事な「3×5も正解」の説明をする子どもがいた場合はどうするか。

それは、当然真剣な比較検討の対象となる。

その上で、「どちらの式が、意味として誰に対してもすんなり伝わるか」も検討する必要がある。


なぜならば、式とは即ち「算数(数学)語」という共通言語だからである。

読んだだけで、その言語を知っている誰にでも意味がすっと伝わる必要がある。


ちなみに、2段落前に『3×5「も」正解』と表現して違和感があっただろうか。

恐らく、ないはずである。

5×3が立式として正解ということに関しては、異論・反論が出ようがないからである。

どちらがよりよい解であるかは、一目瞭然である。


そもそも、問いたいのが「立式」なのか「演算の答え」のみなのかも曖昧なのである。

だから、「答えさえ合っていればいい」という、台形の公式丸暗記みたいな話になっているのである。

ここで正答率と得点の向上を第一に求められるような立ち位置の人間であれば、「どちらでもいい」と答える可能性が高い。

小学校教員の学習指導において求められるのは、そこではないのである。


こんなものにすら半世紀も決着がつけられないとは、何ということだろう。

世間の言葉に右往左往して、代々上から下まで「決断」できない教育現場の哀れな姿が見受けられる。

それは民主的でも多様性の尊重でも何でもない。

ただ八方美人で優柔不断なだけである。


何が正解で、何が不正解か。

全てがこう割り切れるとは言わないが、少なくとも教える内容が定まっているものについては、堂々と教え、理由を語れるようでありたい。

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