夏は研修やセミナーが盛んである。
多業種、各方面で開催されるが、特に教員関係のものは多い。
夏休みに子どもがいない間は、主に研修期間という位置付けだからである。
これは、教員にとっての夏休みの楽しみ方の一つともいえる。
社会科の大家、元筑波大附属小教諭の有田和正先生は、旅行も兼ねてネタ集めに奔走していたという。
数々の素晴らしい授業実践群は、これら休日を含めた日々の研鑽の賜物である。
やり方次第で、旅行すら立派に研修になりうる。
そんな中、セミナーは傍目にもわかりやすい研修の機会である。
わざわざ休日に身銭を切って時間を使ってまで学ぼうというのはコストが高く、並々ならぬモチベーションである。
特に遠方まで行ってお金を払って学ぶような人は、少なくとも「普通」ではない。
コストをかける分、期待が高まる。
時に、相手が、自分の望む答えをもっているように感じてしまう。
悩んでいるほど「どうやるのが正解か」と他者にききたくなる。
ただこの姿勢だと、なかなかうまくいかない。
うまくいかなくても、変われなくても、相手次第だからである。
実は、どんな研修やセミナーであっても、学び手次第というところがかなりある。
この夏の新刊『学級経営がラクになる! 聞き上手なクラスのつくり方』にも書いたが、受け取る主体は常に「聞き手」にあるからである。
特に「有名講師」と言われる人に学ぶ時は、消化の仕方が肝である。
相手の実績があるだけに、それを真似すればうまくいく気がしてしまう。
実際、やってみるとわかるが、そううまくはいかない。
「変わるぞ!」と熱く燃えて決意したにも関わらず、続かない。
それは、そもそも相手と自分のもつストーリー、文脈が違うからである。
物語に例えると
「普通の暮らしをしていた若者がひょんなことから事件に巻き込まれ、苦労の果てに成功する」
というタイプのストーリーと、
「生まれながらの王族が、内政の困難に立ち向かいながら更なる成功を手にしていく」
というストーリー。
両者の成功譚は全く別物である。
主人公のもつ、そもそものベースも環境も全く違うからである。
様々な地へ行くとわかるが、学校の抱える課題も地域で全く違う。
先日の調査結果を受けて「学力向上」が主な課題になっている地域がある。
一方で、所変われば、「貧困」が問題になっている地域もあれば、「同和問題」が筆頭に来ている地域もある。
私学と公立でも違う。
どこでも同じ手法が同じように通用する土台がないのである。
その研修やセミナーから学んだことを、自分なりにどう解釈して用いるかが全てである。
正解は自分で作る。
学んだ内容とは全く逆の正解を作ることもあり得る。
「この道でみんな成功してますよ」
という話を聞いて、
「それならもうこの道を行っても自分にはチャンスがないから、これ以外を行こう」
と考えるのも自分次第である。
いずれにしろ、経験は意図的に積み、そこに整理を加えないといけない。
これは、師の野口芳宏先生が事あるごとに口にされている教訓である。
せっかくこの夏に学んだ内容、自分なりに主体的に活用していきたい。
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