私が長らく、学級経営において大切にしている大原則がある。
真面目な人に損をさせない。
一生懸命がんばる上位2割にこそ注目する。
これらの考えが結構広まってきたようである。
見ると、私以外の誰かも
「真面目な子に損をさせないことが大切です」
と断言して書いている様子を見受ける。
さて、これらのことを書いたり発信する時には、ルールがある。
それは「引用元の明示」である。
論文、書籍、メルマガ、SNS、媒体を問わず「引用元の明示」は、発信の大原則である。
「それは元々誰の話なのか」をはっきりさせるのが、文章を書く上での大原則のルールである。
「自分が思いついた」と思った場合でも、関係する文献、あるいはせめてネットで先行実践を調べてから発信するのが最低限度のモラルである。
そう思ったほとんどの場合、以前に自分が見聞きした文章の記憶からの着想(あるいはそのまま)だからである。
これは自戒の念も込めており、私自身の文章にも当てはまることである。
例えば、『不親切教師のススメ』は新しいことを書いているように思える。
自分でも、色々と考えて書いたつもりである。
しかし実際には、かなり様々な人々の思想に影響を受けている。
思い出せるものはなるべく調べて明記したつもりであった。
しかし、それでも甘いのである。
例えば、この本の参考文献に載せるべきだったと後悔している本がある。
『不親切教師のススメ』と同じく、さくら社刊行の、次の本である。
『学級づくりの教科書』有田和正著 さくら社
この本の「教育的良心が足りない」?という項p.154に次のように書かれている。
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(引用開始)
手とり足とりの指導が、子どもにとってよいのであろうか。
わたしは、子どものために尽くすということは、手とり足とりの指導ではなく、ひと言少ないことや、一手少ない指導だと考えている。子ども一人ひとりを主体的に育てることが教育の目的なら、指導過剰はマイナス効果である。
(中略 )
子どもが困っていると、すぐ手を出したくなる。そこをがまんすることが、本当に子どものためになるのである。
(引用終了)
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本に力強く「花丸」の書き込みまで付けてある。
『不親切教師のススメ』は、ここから相当に影響を受けていると考えて間違いない。
2011.8.25発刊で、発売直後に初版を購入してまず一気に最後まで読んだ記憶がある。
表層からは内容についての細かな記憶は薄れていたが、深層で完全に覚えていたようである。
有田実践については『不親切教師のススメ』にも宿題の項でふれたが、今思えば主要な参考文献としてこの本を載せるべきだった。
もう間に合わないため、せめてここの場に明記し、次回作では明言しようと思う。
ちなみに冒頭に挙げた「上位2割に注目」は、イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートの「パレートの法則」からの気付きである。
セットで「下位2割に引っ張られない」という点もここから着想し、提案している。
学級崩壊とは、下位2割が言うことを聞かない状態ではなく、上位2割にそっぽを向かれた状態を指すからである。
この「学級崩壊とは・・・」という考え方のベースは、TOSS代表の向山洋一氏のものである。
また「下位に注目しない」というのは、特別支援教育で用いられる「意図的無視」という配慮からきている。
そしてのその考えのベースは、心理学におけるオペラント条件付けの「負の強化」というものからである。
つまり、どれもこれも私の完全オリジナルな訳ではない。
他の研究や実践から着想を思い切り得ている。
その学びを消化した上で、実践を通して実感したものを言語化しただけである。
私の「真面目な人に損をさせない」という学級経営の大原則も、この「上位2割」の概念から派生した考えである。
そう考えると、「自分の完全オリジナルな考え」などというものは、ほとんど存在しないのかもしれないとも思う。
師の野口芳宏先生もそのように仰っていた。
全ての原理原則は、孔子やキリスト、釈迦あたりに言い尽くされており、先人がどこかしらで主張しているものばかりである。
だからこそ、発信者はそこに対し、謙虚になる必要がある。
誰でも何でも発信できる現代にこそ、個々の情報モラルや情報リテラシーが重要になる。
自分の考えはどれで、引用・参考文献はどれなのか、明示する必要がある。
(ちなみに引用と参考は全く違う。引用は元のそのまま、参考はあくまで参考である。
これも、初任の頃に向山洋一氏の書籍から学んだことである。)
情報を得る場合も、それがどこの誰なのか、名前や立場を明示して発信しているのかどうかが最も大切である。
当たり前だが、世に知られた人が立場をもってする発信は、そうでない人に比べて、断然責任が重い。
政治家や有名人が批判されるのは、そういう意味で避けられない必然である。
そして批判一つとっても、批判者側が名前や立場を明示してこそ責任と価値が伴うのである。
匿名の無責任な文章には、宙を漂うような重さしかないのである。
情報を得る側も、そういう視点で見ないと、色々と見誤り、誤ったものが世に広まる。
ニュースに悪い情報の方が多く飛び交うのは、それを無意識に歓迎する読者が多くいるからこそである。
SNS上や書籍上の有象無象の教育情報に、気になるものが増えてきたので、記しておいた。
もしも私の文章に対しても、考えに共感して広めたいという有難い意向がある方は、引用元を明示するか、ご一報を頂ければ幸いである。
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