前号に続き、ルールについて。
前号の最後に書いた通り、学校における学びとは、ある意味全てがルールの学習である。
英語の「rule」を辞書で引いてみる。
「ジーニアス英和辞典」によれば
1 規則、規定、規約、ルール
2 習慣、常習;常のこと、通例、習わし
3 支配、統治;支配の期間
4 規則;公式、解法
5 定規、ものさし
6 標準、基準
7 法理;原則;規範;裁判所規則
8 罫、罫線
訳語を見るだけでも、かなりの意味が網羅されているのがわかる。
例えば「空気」というのもルールに関わっている。
「空気」とは「暗黙のルール」である。
前号に取り上げた「風習」も「慣例」も、ルールである。
教育を通して、きまりを身に付けることになる。
学習の解法や公式もルール学習である。
生活全般において「こうすればこうなる」ということを知るのもルール学習である。
例えば「人を傷つければ叱られる、周りと距離を置かれる」というのもルール学習である。
ここを誤学習することがある。
「騒げば注目してもらえる」「人をからかうとみんなが笑って喜ぶ」「悪いことをすると先生が話しかけてくる」等々である。
学校生活において、誤学習は確実に起きる。
これをいかに防ぐか、そしてどう修正していくかの2点が学級経営のカギとなる。
ところで、最近「Chat gpt」というものが一挙に注目を浴びている。
簡単に言うと、ロボットチャットである。
AIが質問に答えて、作文をしてくれる。
文科省もこの導入に向けた取り扱いのガイドラインを出すほどの勢いである。
今後、読書感想文はこれにとって代わられる可能性が高い。
(なお、この文章を書いたのは4月のことであり、7月現在、文科省からは読書感想文にChat gptを使用することは「不正」だと明言されている。)
例えばこのロボットに「〇〇の読書感想文を書いて」と頼んでみる。
すると、現時点ではとんちんかんな作品の読書感想文を書いてくるが、文章自体はきちんと書けている。
以下『きつねの窓』を「小学生ぽく」という注文をつけて、数秒でレスポンスされて生成された文章である。
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「きつねの窓」は、真山仁さんによる児童文学作品です。
主人公の「ぼく」と白いきつねが出会ってから、お互いを認め合って仲良くなっていく話です。
きつねは最初は怖かったけど、次第にお互いを理解し合い、いい友達になります。
きつねには人間にはない感性があり、それを通して自然の美しさも教えてもらえます。
でも、ある日きつねは人間に追われることになってしまいます。
主人公はきつねを守るために、勇気を出して奮闘します。
そこから物語は、主人公の成長やきつねとの絆が描かれます。
この本からは、自然や異なる生き物との関わり方を学ぶことができます。
きつねとの交流を通じて、思いやりや勇気を育んだり、大切なものを守るためには努力することが大事だと感じました。
文章がやさしくて、きつねと主人公のやりとりが楽しいので、読んでいてほっこりした気持ちになりました。
自然や動物が好きな人には特におすすめです!
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いかがだろうか。
冒頭からもはや別の作者で違う物語になっているが、これがもし正確に把握されるようになったら、という話である。
何なら、ベースの部分としてとりあえずロボットに書いてもらって、これに適当に修正して付け足しても完成する。
更に言うと、文章が気に入らない場合、注文をつけて「再生成」の命令をすれば、また違った文章を提案してくれる。
そうなると、自分で考えて書いた作文なのかの「不正」かどうかの判別がかなり難しい。
というより、自分で文章に修正を少しかけた時点で、ほぼ完璧に不可能である。
夏休みの読書感想文の「最優秀賞」が実はほぼロボットだったという事態になる日は眼前で、既に空想科学の世界ではない。
今(4月)の時点でこの性能なので、夏休み明けまでには相当成長しているはずである。
今年度、夏休みの宿題として読書感想文を出すべきかどうかは、検討に値する。
「真面目な子どもが馬鹿を見る」という事態になりかねないからである。
(「熱心な親」が「少し手伝った」作品が高評価されるというのと根本は同じかもしれない。
夏休みの宿題は、子ども時代から大人になっても、いつも空虚である。)
このAIプログラムは、ディープラーニングによって機能改善していく。
みんなが改善の提案をする、即ち教育することで、ルール学習により、より賢くなっていく仕組みである。
この学習方法には欠点がある。
誰かが悪いことや誤ったことを教えると、それをデータとして学んでしまう。
誤学習である。
その数が一定数を越えると、それが正しいと思い込んでしまうのが大きな欠点である。
この誤学習を防ぐことは難しい。
悪意のある人間でも容易にアクセスできる以上、情報の混乱は避けられない。
集団で動けば「特定の思想」を学ばせることもできる。
ここに対しては、集団で修正をかけていくしかないが、いたちごっこになる可能性がある。
この学び方は、子どもが学ぶ場合と共通点が多い。
要は、所属集団がどういう思想をもっているかで、子どもがそれを自然と学ぶのである。
そしてそこに修正をかけられる存在が、教師である。
学級の最初は、子ども同士のつながりが希薄なことが多い。
そうなると、分断された空気に支配される。
「自分を守る」ために、放っておくとあまり関わらなくなる。
ここをつなげていくのが、担任の最初の仕事になる。
話があちこちにとんだが、要はルールに対しての修正とディープラーニングが大切ということである。
修正担当は教師だとしても、ディープラーニング担当は、子ども集団になる。
よりよいルールを学べる集団に育てていきたい。
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