引き続き、昨年度の3月に「態度」をテーマに連続で書いたメルマガ記事を転載する。
自分から見て「態度が悪い」と感じた人がいるとする。
前号までも書いたが、この「悪い」は「評価」である。
それも自分という基準からみた、相対的評価である。
この「悪い」は、絶対的な評価ではない。
絶対的な悪というのが存在しないのと同じで、あくまで自分という主観からの相対的な評価である。
ではなぜ自分の感性がこの相手に対し「態度が悪い」という評価を下したのか。
ここには理由があるはずである。
いくつか考えてみる。
攻撃的、あるいは威圧的な態度であると感じられた。
または、やる気がないような、自分を見下すような態度であると感じられた。
もしくは、馬鹿にしている、無視している、ぞんざいに扱われていると感じられた。
基本的に人は自分を尊重しない態度をとられると、態度が悪いと感じやすい。
それはつまり自分にとっての「脅威」であり「恐怖」を引き起こす。
この辺りの空気を何となくでも感じる時、一般的にはその相手に対し「態度が悪い」あるいは「嫌い」という評価を下す可能性が高い。
大人でも子どもでも同じである。
(つまり、これと真逆の態度には「良い」「好き」という評価を下しやすいともいえる。
「安全」「安らぎ」「癒し」を感じる場合である。)
「嫌な態度」と感じられる場合、なぜそうなのか、という背景を考えることが大切である。
即ち、「嫌な態度」の相手を慮るというなかなかハードルの高い行為である。
威圧的な態度、攻撃的な姿勢、悪態をつく人というのは、必ず何かを恐れている。
恐れというものは動物的本能による根本的一次感情であり、この点は野生でサバイバルしている動物と同じである。
そこで、身近にいる動物である犬の場合で考えてみる。
怯えている犬は、怖いから吠えたり唸ったり怒ったり、人をわざわざ遠ざけるような行動をとる。
逆に、人のことが大好きな犬は、全身で相手への喜びを示し、すり寄って来る。(これはこれで興奮してうるさいこともある。)
これは、犬が嫌いな人間の側の心理も同じである。
吠えられて怖いから、嫌う。
咬まれるのではないかという攻撃に構えている状態である。
本当に犬が嫌いな人は、犬を前にすると筋肉が緊張し、汗が出る。
闘争・逃走本能のスイッチが入り、瞬時に動けるようにするためである。
つまり、相手の「態度が悪い」(=脅威・恐怖)と感じられる時、お互いのことがどんどん嫌いになってしまう構造をしている。
吠える犬は相手が闘争・逃走的反応を示すので、より吠えるようになる。
吠えられる人の側も、より吠えられるものだから、闘争・逃走本能がより強く出るようになる。
どちらかがこの本能的反応をストップしない限り、悪循環は永遠に続く。
犬と人間の場合なら、当然人間の側から態度をコントロールするしかない。
犬の方が先に理解を示すということを期待するのは無理がある。
犬の方が本当に自分を嫌っているのではなく、根源的には恐れているだけなのだと理解することからである。
そう考えると、人に対して嫌い、あるいは怒りを感じる場合というのも、考え方の根本は同じである。
全ての負の感情の根本は、恐怖という感情からである。
何かしら、自分を脅かす存在と感じられるから、嫌なのである。
相手の態度からそれを感じ取ってしまうのである。
つまり、態度というのは、態度が悪いと気付ける側が先に変えない限り、解決しない。
相手の態度も確かに悪いのかもしれないのだが、それを恐れている自分の感情にまず気付くことからである。
例えば、担任教師と児童・生徒の関係がこじれているとする。
その時、子どもの側が先に「こんな態度取る必要なかったな」と気付いてくれることが期待できるかどうかである。
これは、普通に考えて、期待すべきではない。
教師の側が「この子がこんな態度をとるのはここへの恐怖があるのかも」と先に理解する方が、主体的である。
もしそれが理解できれば「態度が悪い」というように見えなくなる可能性もある。
「話を聞かずに喋りまくる」という子どもがいたとする。
明かに態度が悪い。
しかし、この子どもの根本的恐怖は「自分が無視されること」かもしれない。
つまり、きちんと話す番が回ってきて、聞いてもらえると理解して安心すれば、態度が改善される可能性がある。
それを伝えるのが、教師のできる主体的な「態度への指導」である。
席につけずに動き回る子どもも同様。
態度が悪いように見えるが、動き回るのは、不安だからである。
じっとしていることが恐怖という可能性もある。
じっとしていなくても大丈夫と安心することで、逆に落ち着くこともある。
学力の低さと問題行動に相関があるというのも同様。
やる気がないように見えるが、根本的には不安なのである。
真面目に受けてもどうせできないのではないかという恐怖感がある。
そうなると、不真面目にやっている態度を見せることで、自分を守ることができる。
そうすれば「やってもできない」という最も傷つく可能性を潰せるからである。
態度への指導というのは、理解から始まる。
しかし、こちらも嫌い、怖いという思いがあると、これが難しくなる。
犬嫌いの人がそれを克服するのと同様、なかなか最初のハードルが高い。
その場合、周りのサポートが必要なこともあるかもしれない。
そして完全にこじれた関係は、修復が難しいというのも事実である。
しかしながら、教師の側が理解を先に示す以外に、主体的解決への道はない。
態度が悪くて嫌な思いをしているのはこちらも同様なのだから、こちらが積極的に解決の手立てを打つべきである。
態度の指導を考えるヒントとして使えればと思い、示してみた。
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