いつの時代も、学校が時代の変化に対応しきれない原因について、現場からの雑感。
当たり前すぎるが、学校の変化速度よりも、子どもの方が変化が早いし、柔軟である。
時代の流れにさっと乗れるのはどちらか。
圧倒的に、子どもである。
高度情報通信社会の今、先取りした教育を子どもに提供したい学校が、世間や子どもに遅れをとってしまう時代である。
例えばプログラミング教育が学校に浸透するのは、相当時間がかかりそうだと予想され続けていて、現実にそうなっている。
一方で、プログラミング教育の目指すものが子どもに浸透したのは、あっという間。
なぜなら、子どもの日常生活には、ゲームを始めとしてこれに関わるものが溢れているからである。
人気のゲームソフト「Minecraft」で子どもたちがやっているのは、プログラミングである。
プログラミングとは
「コンピュータプログラムを作成することにより、人間の意図した処理を行うようコンピュータに指示を与える行為」
と定義されており、ゲームの内容と完全に合致する。
他にも「マリオメーカー」などの人気ゲームでも近いことが行われている。
プログラミングは、学校教育から隔離され続けてきたゲームの、最も得意分野である。
例えば、ダンスが好きな子どもは多い。
わざわざ体育で必修化しなくても、止めようとしても勝手に踊る。
動画で解説&真似をしようというのは、YouTubeの得意分野である。
YouTube上の安全性が今後更に確保されるようになったら、もっと広まることは間違いない。
(今は改善されてきたとはいえ、広告やアップされている動画などに、子どもに自由に見せるにはまだまだ不安が残る状態である。)
学校が「遅い」「閉鎖的」「時代錯誤」等々、批判されるのは、今に始まったことではない。
学校は、みんなが経験済でご存知の通り、一般社会と隔離された空間であり、今までずっとそういう仕組みできている。
これは、学校の「安全・安心を最優先」「公平性の確保」という立場から、致し方ないことである。
「開かれた学校」を標榜した矢先に不審者対策をせねばならない状況になる。
監視カメラや警備員の配置、校門の閉鎖など、逆に閉鎖性を強化せざるを得なくなってしまった。
インターネットの利用に常に及び腰なのも、セキュリティの不安が拭えないからである。
「個別最適な学び」を標榜してパソコンを導入するものの、各家庭の状況は様々である。
当然、家庭によってはパソコンやネットが活用できない状況があり得る。
そうなると、まず公平性の担保が優先される。
だから、全員の使用に対し「待った」がかかる。
「公平な状態」からのマイナスになるような「犠牲者」を出してはいけないという前提がある。
個を大事にするがゆえに、個の権利が制限されるという構造である。
だからこそ、社会では絶対に通用しないような論理がまかり通っていることも多々ある。
あまりに巨大になってしまった組織は、発展よりも崩れないことが最優先されるため「保守」が基本である。
学校に限らず、巨大企業にもよくある構造といえる。
今、GIGAスクール構想に対し、地方自治体のインフラ整備が追い付いていないことにメディアの批判が集中している。
ただ、ネット回線のダウン問題は、学校としてもどうにもしようがない。
本校でもよくあるが、ネットを多くの人が集中的に使用する時間帯というのがあり、根本的解決方法が見つからない状態である。
(そもそも、ものすごい性能の回線を開発・提供してくれるのも一般企業頼りであり、お手上げ状態である。)
一人一台端末を導入したからといって、いきなりGIGAスクール構想の理想形になるはずがない。
ここで批判が殺到するからこそ、より保守的になって動けなくなってしまうという構造である。
何と言っても組織の体自体が異常なほどに大きいのだから、動きも鈍くなって当然である。
1つの会社にポンとコンピューターと回線を導入するのとは訳が違う。
動くと叩かれる、という構造が、より学校の進化を鈍化させている。
学校という組織にしてもそうだし、教師個人の創意工夫にしてもそうである。
新しいものを導入することに対し、アレルギー的な反応を示すようになってしまっているところがある。
学校は変われるか。
多分、組織単位で変わることにどうこうするのは、難しい。
個人や学年などの小さな単位でできることを粛々と行い、変えていく。
実際に、そうやっている人たちが全国に点々と存在している。
我々一教員にできるのは、そのような地道な動きからである。
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