2021年1月12日火曜日

「まだ使える」は使うべきか

 

年末の大掃除の時期に書いた、「捨てる」ということの前向きな意味について。


大掃除は、モノの処分が大切になる。

いかに不要なものを捨てるかに9割がかかっているといえる。

残したものは、来年も大掃除の対象となり、それまでに手入れが必要になるからである。


明らかに古くて壊れているものは、一番楽である。

気持ちよく処分できる。


あまり使わないけど比較的高価なもの。

今日からすぐに使う予定、あるいは1年以内に使用したなら、捨てずにとっておいてもよい。

そうでないなら、捨てても問題ない。


「まだ使える」というモノはどうか。

これは、一番捨てづらい。

今も時々は使っているし、まだ使えるからである。

特に気に入っている訳でもないが、使えるというモノである。


ここが、今回の話の肝である。


「まだ使える」

この言葉が出た時の、心理状態はどうか。

積極的に「使いたい」「使いたくない」どちらか。

もっといいモノがあれば、そちらを使うか。


まだ使えるという言葉の裏には、あまり良くはないが、というニュアンスが含まれる。

心からのお気に入りでとても使いやすいのであれば、捨てずに使い続けるべきである。

しかし、我慢して使い続けるのであれば、そこは捨てる対象になる。


私は、ものを大切にしようというスタンスである。

ただ、本来の価値や機能を失ってしまったものをいつまでも使うのは、ものそのものにとって本望ではないのではないか、と考えるのである。

ものが自分のものとして存在することの意義は、自分にとって役立つ、もっと言うと、生活の幸せにつながるからである。

「まだ使える」というぐらい使い倒したのであれば、もう十分ではないかとも考えられる。


ものの扱い方は、生き方につながる。


例えば仕事のやり方でも「まだ通用する」ということで使い続けると、より良い方法を模索しなくなる。

習慣、慣例に流されるようになる。

まだ使えるかもしれないが、もっといい方法があるなら、そちらに挑戦した方が、良い結果が得られるかもしれない。


今、学校現場は、急激にICT化が進んでいく傾向にある。

まだ使える実践もたくさんあるとは思うが、より良い方法が出てきそうな気配である。

昭和に「ガリ版」の技術が必須だったが今は使わなくなったように、「捨てる」こともたくさん出てくることが予想される。


今のやり方は、まだ使えるかもしれない。

しかし、もう役目を十分果たしたかもしれない、とも考えられる次第である。

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