2019年12月16日月曜日

一年生ギャップを考える

幼稚園の公開研究会に参加した。
そこでの学びと気付き。

幼稚園の活動は、遊びである。
遊びの中で学ぶ。
この感覚が、小学校以降の教員には理解され難い。

遊びの中で、国語と算数と理科と体育と図工と道徳と・・・すべてが行われる。
「総合的な学習」の時間が当たり前である。
小学校でいうと、生活科の「秋探し」の活動を毎日行っている感じである。

とにかく、面白い。
どこへ行くのも自由だし、子どもたち同士も常に緩やかにつながっている。
子どもたちは、幸せだと思った。
これを見て「小学校では通じない」などというのは、完全なお門違いである。

そう。
これだけの豊かな学びをしてきた子どもが、小学校ではいきなり「机と椅子について、皆さんご一緒に」である。
無理に決まっている。
小学校の側が「不自然」なのである。

本当に、小学校の入学当初から、一人ずつの椅子と机が必要なのだろうか。
皆さんでご一緒にする必要があるのだろうか。
4月最初の文字もない教科書において、その環境が「必須」な学習は、一切していないはずである。

「小一ギャップ」を埋める努力として、「スタートアップカリキュラム」がある。
それはそれで大切である。
しかしながら、もう少し一年生が馴染みやすい環境というのがあるのではないか。

時間に細かく区切られて、次々に追われるような暮らしに「喜び」を感じられない子どもがいても当然である。

小学校の「当たり前」が、全く通用しない世界。
何よりも刺さるのが、幼稚園の子どもたちの幸せな姿である。
ここに「戻りたい」と思うのが、ある意味で当然である。

小学校は、幸せな空間になり得るか。
少なくとも、学力検査の結果に追われるような世界は、幸せからほど遠い。
社会がそんなに甘くない、という意見はその通りだが、社会は、学校教育の常識が通用しない世界というのも事実である。

小学校教育の在り方。
それを根本から考え直させられる、幼稚園での学びだった。

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