2019年12月12日木曜日

「一世を風び」からの問題提起

ネットニュースの一覧をチェックする。
当たり前だが、テレビと違い、伝える主な手段は音声ではなく、書き言葉の文字である。
(無駄にキャッチ─で刺激的なコピーが多いのが気になる。)

ある記事に大きく「一世を風び」とあった。

これでいいのか。

今回はこの「変な漢字仮名交じり文」について考える。

小学校、特に低学年では、割とよくある。
読める漢字が少ないためである。
振り仮名を振れば問題ないのだが、これも二度手間であり、避ける人が多い。

要は、平仮名にして、読むのを易しくしているのである。
「あなた方にはきっと読めないでしょうから」という配慮であり、優しさともいえる。

しかし一方で「読めないから読ませない」を続けている以上、読めるようにならない。

「木登りは危ないから、登らせない。」→「だから、ずっと登れない。」という問題と同じである。
木を登るような経験のない子どもは、いざ高い所から落ちた時にかなり危険である。

これは、本当に相手を思いやった「優しさ」と言えるのか。
易しいものばかり与えることが、優しさと言ってよいのか。

「一世を風び」の記事に戻る。
正しくは「一世を風靡」である。
確かに難しい漢字だが、読めないことはない。
平仮名が入ると、違和感である。
初めてみる言葉にすら見える。

配慮なのだろうが、余計なお世話である。
ちょっときつい言い方になるが、読者を馬鹿にしているともいえる。
あるいは「読字力がかなり低い読者層」をメインに想定しているのかもしれない。
だとしたら、ビジネスマンが見るようなニュースにそれを載せるべきではない。

そう。
馬鹿にしてはいけない。
人間は、今知らないことも、学べば知ることができる。
それが、学習である。

まして、子どもは、賢くなるために学校に来ている。
どんどん漢字を使って振り仮名をふって、教えるべきである。
(というのは、残念ながら私ではなく、師の野口芳宏先生の長らくの主張である。)

もう一つ。
「一世を風び」と書いた場合、読めるかもしれないが、意味がわかるのか。
読めないレベルの人が、意味ならわかるというのも、少し考えにくい。
(その場合、もしかしたら「いっせいをふうび」というオール平仮名か片仮名の単語で覚えているのかもしれない。)

日本人の語彙力の低下が問題である。
それは、メディアの影響もあるかもしれないが、当然ながら学校教育の責任が第一義である。

堂々と漢字を使う。
もし読めなかったとしても、調べる手段はいくらでもある。

そして改めてみて、「靡」という漢字を書いたことがないことに気付いた。
「靡く」(なびく)と読むらしい。
知っている単語でも、漢字は知らなかった。
どこでも使われない漢字だと、知ろうともできないものである。

英語の問題ばかりが取り沙汰されるが、日本語の問題も相当に真面目に考えていいところである。

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