2015年6月14日日曜日

連休前の宿題をどうするか

金曜日に宿題を出す。
土日がある分、宿題をやる時間がいつもよりはるかにたっぷりある。
(まして、ゴールデンウィークのような連休があれば尚更である。)
当然、休み明けは、宿題をきちんとやっている子どもが多い。

と、いうのは大間違い。
実際は、テストをやっても提出物を見ても、休み明けは最も出来が悪い。
「休みの日は時間があるからできる」というのは、一見もっともらしいが、真実ではない。
ここを当たり前に知っておく。
すると、子どもに対して妙に腹を立てたり、または自己嫌悪に陥ることが少なくなる。

では、いつできるのか。
毎日の決まった時間だけである。
ここは、習慣の力の発揮どころである。
だから、金曜日の夕方は勝負である。
夜には、その子どもの大好きなアニメが目白押しかもしれない。
だからこそ、そこは全力を出して、夕飯の前には必ず終わらせる。
こういうことは、知識として子どもに教えておいてあげる。

次の日は通常の登校日だと思ってやる。
土曜日や、まして連休明け前日の夜まで引き延ばすべきではない。
便秘と同じで、ずっと何となくすっきりしない感じで過ごすことになる。
休みの日は、やるべきことから離れて、心おきなく過ごさせたい。

2015年6月11日木曜日

「きちんと」を考える

「きちんとした子ども」。
この字面から、どういう印象を受けるか。
プラスかマイナスか。

これは、実物をみないと何ともいえない。
「一見きちんとしている」のか「芯がきちんとしている」のかで、雲泥の差がある。

見分ける方法がある。
それが「素直さ」「明るさ」である。

「一見きちんとしている」の方は、どこか暗い。
目がどこかすわっていて、濁って見える。
行動にもどことなく裏やわざとらしさが見える。
「先生の前でだけ」という感じがある。
外に出るとマナー違反やルール破りが通常以上に多い。
形式的、機械的、強圧的な指導でいくと、この種の「一見きちんと」になる。

「芯がきちんとしている」の方は、底が明るい。
目の奥が輝いている。
誰に対しても素直であり、どこでもきちんとしている。
(そして、かわりに家の中で結構だらけていることが多い。
家庭訪問で「家だとだらしなくて」と親に言われる子どもである。
大体が、素直で本当に良い子である。
ただこの公的モードは疲れるので、一番安心できる家庭で素の自分がさらけ出せるようである。)
外に出ても、マナーがしっかりしており、見えないところで人助け等をよくする。
外で会った時に、あいさつも進んでする。
そしてなぜそこではそうするべきか、意味がわかっていることが多い。
(多く、親が幼少期にかなりみっちり躾けている。親の背中をよく見て育っている。)
芯をきちんとさせるために、学校では根本・本質・原点に立ち返った指導を常にしていく。
見た目や形にとらわれたうわべだけの指導をしていると、芯は育たない。

見た目で判断できなくても、外の評価で判断できる。
学校内と、地域社会での評価を比較して見る。
「校内できちんとしていて、外でもきちんとしている」なら、本物で心配もない。
「校内で悪く、外でも悪い」は、言うなれば至極当然で、校内での指導如何で改善が見込める。
「校内できちんとしていて、外で悪い」という状況は最も注意が必要で、そこまでの指導を根本から改める必要がある。
(ちなみに「校内で悪く、外できちんとしている」という状態は、あまり期待できない。
 学校は社会の縮図である。)

表面的でなく、本物の「きちんと」した子どもを育てたい。
そのためには、こちらの言っていること、やっていることを本物にするのが、まずは必要最低条件である

2015年6月9日火曜日

素直さを授業の小さな場面で育てる

素直な子どもは幸せになる。
その素地を作るのは、学校教育においては、やはり授業である。
授業は、学校で過ごす時間のほとんどを占める最重要時間である。
その授業の中の、ほんの小さな場面で素直さを育てる。

教師の指示に素直に従えるか。
従いたくないから従わないというのは、見方によっては芯があるかのように思える。
しかしそれは大きな勘違いで、実は単なるわがままである。
今教わっている師を疑いながら、いちいちそんなことを考えたり口ごたえをしたりしていては、成長するはずがない。
教える側が時に間違えることもあるかもしれないが、それ以上に教わる側の判断が間違うことの方が圧倒的に多い。
(そうでなければ、そもそもその人に教わる必要がない。)

少なくとも、人の話を素直に聞かないのは良い性質ではない。
クリティカルシンキングとか多面的に見るとかという話とは、別の話である。

授業の小さな指示に、さっと反応する子どもを認める。
逆に、従わない人はとりあえず放っておく。
あくまで「とりあえず」である。
とりあえずは、従わない困難な群には着目せず、素直な群に着目し認めていくのが集団指導の原則である。
(逆をいくと、学級崩壊まっしぐらコースである。)
そうする中で、どういう行為が良いのかを集団として認識していく。
結果、素直な子どもが育ち、判断に誤りが少なくなる。

子どもは、学校で学んだことを生かして、社会に貢献する存在になり、同時に、本人も幸せになる。
それが教育の力である。
大人は、子どもが本当に幸せになるということを常に考える。
併せて、子どもは大人の背中を見て育っているということも念頭に置いておきたい。
「何を言うか」以上に「何をしているか」である。
大人の側も、常に素直に学び続ける姿勢を見せたい。

2015年6月7日日曜日

注意された時の反応で決まる

前号の「嫌アプローチ」に関連して、素直さという話。
私が以前からお世話になっているある校長先生が、素直であることの大切さについて語られていた。
次のようなお話だった。

注意されるとすぐ泣く子どもがいる。
周りは「かわいそう」とか思うかもしれないが、それは違う。
注意されて泣くという行為は、「意固地」の現れともいえる。
相手の言葉を受け容れず、素直でないということ。
心のコップが上を向いていれば、素直に受け容れる。
素直に受け容れる子どもは、泣かない。
素直な子どもは、人からかわいがられる。
かわいがられる人には、周りの人が声をかけてくれる。
人が集まってくる。
結果、素直な子どもは幸福になる。

その通りだと思い、深く頷きながら聞き入っていた。
これまでの経験上、素直な子どもは伸びると確信を持って言える。
逆に、素直でない子どもは、あまり良い思いができないことも知っている。

例えば、良くない行為について注意したとする。
Aさんは、「ごめんなさい」と言って、すぐに直す。
もっとすごいと「教えてくれてありがとうございます。」と後になって感謝の言を述べる。
(実際にこういう子どもは、学年を問わず必ず存在する。)
素直に受け容れるので、周りも色々教えたいと思う。
誰しも、何かある時には、Aさんにお願いしたいと思う。
結果、人も役割も集まってくる人物になる。

Bさんは、注意されるとすぐふてくされたり、泣いたりする。(または怒る。)
もっとひどいと、後で陰で周りに愚痴ったり、注意した人を逆恨みしたりする。
泣いたり騒いだりするので、注意した人はもちろん、周りもいたたまれない気持ちになる。
Bさんに何か言うと、全ての人の気分が悪くなるので、誰も注意しなくなる。
間違っていても誰にも何も言われない、ものも頼まれない、近付かれないという状態になる。
「触らぬ神に祟りなし」という状態になる。

この反応については、注意する側は選べない。
その時の相手次第である。
しかし、今述べたような話を常々して、どういう反応をするのが結果的に良いかを指導することはできる。
素直さの在り方を示すことはできる。

では、学校教育において、どうやってその素地を作るのか。
(次号に続く。)

2015年6月5日金曜日

おもちゃ売り場でギャーギャー騒ぐ子どもへの対応で考える

おもちゃ売り場でギャーギャー騒ぐ子どもへの対応を考える。

Aパターン「しょうがない、今回だけね。」(じじばばパターン)
→子どもの勝利、大人の負け。
ただし、「一時的勝利」である。
以前紹介したが「大人が負けたら、子どもも負け」である。
結果的に、子どもが不幸になる典型的パターンである。
(しかし、親にとって一番楽な対応なので、最もとってしまいやすい対応でもある。)
子どもはこれで「こうすればうまくいく」という成功体験をする。
親としては「今回だけ」という限定性を持たせたつもりだが、子どもは成功体験の必勝パターンを繰り返すことになる。
そしてこれは、おもちゃ売り場だけでなく、学校や社会のあらゆる場面で本人の「武器」として活用される。
結果、わがままになり、トラブルを起こしやすくなる。

Bパターン「買いません。絶対買わない。ダメなものはダメ。」(頑固親父パターン)
→大人の勝利、子どもの負け。
この対応がベストの時がある。
明らかに無茶な要求と自覚している場合で、本人が「これはさすがにダメだろうな」とどこかで思っている場合。
子どもの側にある程度の知識や理解があるなら、これで通る。
しかし、そうでない場合、「うちの親は何もわかってくれない」と不平・不満を抱える場合もある。

Cパターン「今は買えない。〇〇だから。どうすればいい?」(カウンセラーパターン)
→考えさせるパターン。
定石。
ただし、相手が落ち着いてないといけないので、実際にこの状況で使えないことも多い。
子どもが落ち着くまでかなりの忍耐が必要で、親の側としては最も辛い選択肢でもある。

要は、子どもを良く育てるのに、「ぼろい」ことはないということ。
より良い選択肢ほど、一時的には辛いことが多い。
それを自覚して、教師も指導に当たる。
前々号で紹介した「嫌アプローチ」を使う子どもにも、辛くて嫌かもしれないが我慢してきちんと指導するのが教師の仕事である。

2015年6月3日水曜日

注意されて泣く子どもはかわいそうか

前号の「素直さ」という話の続き。

「注意されて泣く」という行為は、かわいそうどころか、反抗的でかつ攻撃的であるといえる。
何か言われて「周りの人にわかるように泣く」というのは、相手の注意に対する反撃行為である。

この最も典型的な例は、おもちゃ売り場でギャーギャー泣く子どもの姿である。
要は「買いません」という言葉への反撃として、要求を通すために周囲にアピールしている。
体験的に「こうすれば周囲の目も気にして相手が困り、要求が通る。」ということを知っている。
本人にそんな考えはなくとも、脅しと同種の行為である。

ちなみに、赤ちゃんが泣くのとは訳が違う。
「周囲へのアピール」という点では同じだが、赤ちゃんが泣くのは言語の代わりである。
大声でギャーギャー泣くことが、伝えるための適正な手段となっている。
(逆に、何かあるのに泣かない赤ちゃんは困る。)
だからこそ、泣き方も周りが焦って行動を開始するような「必死さ」がある。

もし赤ちゃんがしゃべることができて、相手を気遣うようなら、次のように言うかもしれない。
「お手数ですが、ミルクをいただけますか。」
「勝手を言って大変申し訳ありませんが、眠いので、お静かにしていただけないでしょうか。」
「大変お手数をおかけして恐縮ですが、おむつの方を替えていただけないでしょうか。」
赤ちゃんがそれを言えたら泣く必要はないのだが、そんなことは言えない。(言えたら可愛くない。)
赤ちゃんは自律の力がなく、我慢ができないからこそ生きていける。

さて、少し大きくなっても、子どもは自律の力をつける途中段階である。
先のおもちゃ売り場での状況があり得る。
ここの対応で子どもの今後が決まる。
どう対応するだろうか。(次号へ続く。)

2015年6月1日月曜日

「嫌アプローチ」にどう対応するか

嫌な感じで近付いてくる子どもがいる。
例を挙げると、
「〇〇なんですけどぉ~」と妙な言いがかりや難癖をつけてくる。
「〇〇してくださぃ~」という無理難題をふっかけてくる。
その他、悪口、暴言の数々。
独特のイントネーションと、「なぜか上から目線」「けだるい風のテンション」が特色である。
私はこれを勝手に「嫌アプローチ」と名付けて呼んでいる。
(ちなみに、大人でもやる人がいる。)

表面的に見ると、ただの嫌な人である。
一般社会で出会う人であれば、できれば関わりたくない。
しかし、子どもであること、そしてなぜそういうことをするかを考えると、対応が変わってくる。

要は、他の関わり方を知らない(またはできない)のである。
嫌アプローチで相手にしてもらった「成功体験」がある。
「感謝を伝える」「助けを求める」「褒める」といった類の正攻法のアプローチが苦手な場合が多い。
その子どもの成長過程で、何か素直になれない背景があったと思われる。

幼児が母親にやたら甘えたり困らせたりするのと根本は一緒である。
関わりの欲求、愛情の欲求が根本にある。
「愛の反対は無関心」の言葉にあるように、本当に嫌だったり興味のない相手にはそもそも近付かない。
何かしら自分に関心を持って欲しいという思いがある。
(暴走族の少年少女も同じである。自己肯定感が著しく低い。)

では、それで受け容れるのかどうかだが、これも考えものである。
ある程度の関係があれば、かなりはっきり気持ちを伝えられる。
そういう風に育って欲しくないと誠実に伝えれば、それでおさまる。

一方、関係性が浅い子どもとなると、やり方が変わる。
信頼関係がない。
まともに対応しても、聞かない可能性がある。

そこで、信頼関係とは別物のところで話す。
例えばいきなり悪口や暴言を吐かれるようなら、「そんなことをあなたに言われる筋合いはない」とぴしゃりと伝える。
「それは社会で通用しない。」ということを教える。
一般社会なら「侮辱罪」「名誉毀損罪」等の立派な犯罪である。
学校が社会に出るための準備の場であるなら、ここが指導のチャンスでもある。
そういう関わり方なら話しかけないで放っておいて欲しいことも伝える。
しかし、その上で、きちんとした一人の人間同士で関わりたいことも伝える。
教えるべきは教え、突き放さない。
相手の根本に「関わりの欲求」がある、つまり根本に正の感情があると思うから、こう対応する。

こういう対応は、毅然とした態度でないとできない。
気合いもいり、正直疲れる。
適当に愛想笑いで誤魔化してやり過ごすこともできる。
しかし、それはその子どもにとって最終的に良い結果を生まないと思う。
正直、相手が相手だけに、かなり疲れるので面倒だが、流さないで指導する。

いつも繰り返すが、人間対人間に完全マニュアルはなく、相手の状況も考慮する必要はある。
もしかしたら、何か嫌なことがあってむしゃくしゃしているのかもしれない。
しかし、こちらの思いを誠実に伝えるというのは、どんな状況のどんな相手でも大切である。

目の前の子どもの将来にとって、本当にどうなのか。
今をしのぐことにだけにとらわれず、大きな視点を持って対応したい。
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