2023年5月6日土曜日

言語化して脳の回路を開く

 学級づくりに関する話。


学級では、言語化が大切である。

特に、学級集団が荒れている場合、ここに根本的な原因が存在することがある。


わかりやすい例を挙げる。


言い争いや暴力によるけんかが絶えない子どもたちがいるとする。

気付けば取っ組み合いのけんかをしている。

お互いを離してから何があったかをを聞くと

「こいつが馬鹿だから!」

「うるさい!」

「うざい!」

「死ね!」

というお世辞にも語彙が豊かとは言えない言語の応酬。

落ち着いてから聞こうとしても、結局言葉足らずで、何があったか、さっぱりわからない。


つまり、言語化して伝えられないからこそ、暴力に転じた訳である。

幼児の中にすぐお友達を叩いてしまうという子どもが多くいるというのと、同じである。

自分の気持ちを伝える適切な言葉を知らないためである。


これは、性格とか心の問題ではない。

言語の有無の問題である。

言葉にできれば理解できることに対し、その感情に対する適切なコードがないため、情報処理できていない状態である。

脳内の適切な回路が開通していない状態であるともいえる。


「なぜ怒っているのか」を周囲が言語化してやる必要がある。

「○○って言われたのが嫌だったんだよね?」

「悔しかったね」

「○○っていう言葉を、相手が嫌だと感じるとは思わなかったんだね」


七面倒な気もするが、これしかない。

こういうところは丁寧に対応した方が、長い目で見て、全員にとって楽になる。


この時、無理に納得させないことがコツである。

相手が謝ったからといって、許せないままでもいい。

「謝ったら許してくれる」という勘違い、誤学習の回路自体も正す必要がある。


「ごめんね」「いいよ」の定型は、世の中では通用しない。(裁判を見れば一目瞭然である。)

その方が、実際の社会に出た際に適用できる。

そして、許されるどうこうは関係なく、人を傷つけた際には謝るという行為は最低限必要であるということも、学ぶべき認識である。


脳の誤学習を防ぐことである。

適切な行為に対し報酬を与え、不適切な行為に対しては報酬を与えないことである。


次のようなことも、誤学習である。


例えば、子どもが、失敗や悪さをしてしまった。

隠そうとしていたが、それを問いただされ、正直に話したところ、「とんでもない!」と激怒された。

ここから脳は自らの身の安全を保つために、次のような回路を開く。

「失敗を正直に言わないこと。嘘をつき通すこと。これが正解。」

言うなれば、適切な行為に対し、不適切な懲罰が与えられた状態である。


繰り返されるほどに、この回路は強化される。

「また嘘をついて!」と叱るほど、怒るほどに、悪化の一途である。


嘘をつくのは生存本能である。

嘘自体は悪くない。

嘘に対する、周囲の扱い方が悪いのである。


ここも、言語化してやることで、適切な回路が開く。

「嘘をつきたくなっちゃうことがあるよね」

「本当のことを言うのは怖いね」

「本当のことを言っても、絶対に怒らないよ」

「先生も失敗したことたくさんあるから」


定型はなく色々あるが、とにかく追い詰められた相手の気持ちに寄り添った言語化が必要である。

そして、こちらのお願いに対して正直に言った場合、絶対に、絶対に怒ったり叱ったりしないことである。

正直に言った場合、絶対に、絶対に怒ったり叱ったりしないことである。(敢えての二度書き。)

これは正直に言った相手との「契約」である。


こういう経験を積み重ねる内に、子どもの中に回路が開き、言語化されるようになる。

「やってしまいました」

「ごめんなさい」

「これをされたのが嫌でした。でも自分はここが良くなかったです」


こうなると、けんかやトラブルの解決までの時間も労力も、10分の1以下になる。

初期に投資した大きな労力、忍耐も十二分に報われる。


言葉を豊かにすることである。

言語化を促すことである。

国語の学習は、その点でも大いに意味がある。


豊かな学級づくりは、豊かな言語環境から。

言語を軽んじた時、その集団は確実に崩れていくと自覚したい。

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