先週3月11日、久しぶりに「被災地に学ぶ会」へ参加した。
今号はその報告レポートを兼ねて、考えたことを記す。
いつも通り、南相馬のボランティアセンターが活動拠点である。
南相馬の地へ入って、様子が大分変わったという印象をもった。
何というか、震災数年目までの頃と違い、そこに確実に人が暮らしているという感じがある。
土地が整備され、コンビニや他の店も増え、確実に前進しているという感覚をもった。
昼食休憩の際、毎度お世話になっているお弁当屋さんにお話を伺った。
確かに町は以前よりもかなり復興し、生活インフラも整ってきた。
しかし問題はとにかく「若い人が帰ってこない」ということだそうである。
折れ線グラフでいうと、復興の度合はここ10年で確実に右上がりになっている。
しかしマイナスから0に近づいてくるにつれ、線の傾きが横ばいになってきている感じである。
あの年に生まれた子どもたちが、もう4月から中学生になる。
つまり、他県等へ避難した場合、もうそちらの土地に慣れ親しんで育ったということである。
当然、移り住んだ土地にお世話になったと感じるほど、その土地への愛着も湧いてくる。
「人が戻ってこない」という現実の厳しさを感じた。
そして「若い人がいない」というのは被災地に限らず、地方の多くの自治体が抱える共通の悩みでもある。
その地へ移り住む人が多ければそれに越したことはない。
しかし人が多く住まなくとも、人が多く訪れる地であれば、それも町を元気にする。
人口は少なくとも観光客が多い土地はある。
また、多くの人が訪れなくても産業やインターネットの活用等で生きていく手段もある。
少し視点を大きくすれば、県単位で見て潤うことも必要である。
ある市町村自治体の財源が少なくても、他の自治体が稼ぐなどして県自体が潤っていれば、その恩恵で再分配できる。
(ちなみに我が愛する千葉県は、日本一のテーマパークや成田空港等の存在で、全国各地、世界各地から人とお金が入って来る土地である。
有難いことである。)
福島県で泊まった民宿の方のお話が印象的だった。
「もう復興という言葉は終わりにしたい」という。
確かに、復興というのはマイナスから0へというイメージが強い。
こちらは「復興支援を続けること」が大切だと信じていた。
しかし、その土地に住んでいる人が、真逆の意見を実感として述べているのである。
例えば同じ「福島県」という括りの中でも、その場所ごと、まして人ごとの悩みは違う。
特に福島は津波に直接被害を受けた土地、原発関係で避難勧告が出た土地の影響はクローズアップされやすい。
一方で、津波の影響は全くない場だが誹謗中傷やデマによる大きな被害を受けた土地や人もある。
その影響の大きさも、業種や人によってそれぞれである。
各支援金がどの土地にどう分配されるかという切実な問題もある。
民宿のご主人曰く
「とにかく遊びに来て思い切り楽しんで欲しい」
とのことである。
また「福島の野菜は世界一安全」という話も聞かせていただいた。
福島からは、他にはない放射線物質測定の厳しい検査基準を越えたものしか流通しないシステムがあるからである。
その自慢の料理は、どれも間違いなく美味しいものであった。
(参考:ふくしま復興情報ポータルサイト 農産物等の放射性物質モニタリングQ&A)
https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/nousan-qa.html
復興支援には、何か特別なことが必要だと思い込んでいた。
しかし、ただ楽しむために遊びに行くことは、その土地にとってものすごく重要である。
そもそも東北地方というのは、もともとが観光名所として名高い土地だらけである。
行けばレジャーに事欠くことはない。
その土地を楽しむことで活気づけ、喜んでお金を使うことが大切である。
今回の福島訪問で、一つ意識が変わった。
我々にできる最大の支援は、その土地へ行って思い切り楽しむことなのかもしれない。
それならば、多くの人が取り組みやすく、続けられる。
それはもはや「支援している」と言わなくていいのかもしれない。
楽しませてもらっている相手に対し、その立場は平等だからである。
そしてそれは、他の地でも同様である。
例えば熊本という土地は素晴らしい。
そこには阿蘇山をはじめとする雄大な自然と豊かな文化がある。
もう十分に観光地としての力は取り戻しているのだから、後は遊びに行くことでも力になれる。
完成が遅れるという話になっている熊本城再建にも、少しは自然と貢献できるのかもしれない。
これは被災した土地に限らない解決策かもしれない。
多くの人が、楽しみにお金を使う。
そのお金が多くの人に巡り巡って、豊かにする。
教育も同じである。
悲壮感や切迫感から行うものは、続かないしあまり身に付かない。
楽しく前向きに取り組むからこそ、よりよいものが手に入る。
節制そのものは大切だが、「悲観」や「自粛」の姿勢よりも、前向きな選択肢をとる必要があるのかもしれない。
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