2020年7月18日土曜日

努力しない人は、怠け者か

成功と努力の関係について、最近よく考える。
また「がんばりなさい」「やりなさい」と他人に言われて、本当に能力は伸びるのか、という面も考える。

努力しない人は、怠け者である。
これは、本当か。
一般に明らかに真と思われているものほど、検討の価値がある。

人間というのは、だめだとわかっている方を敢えて選択することがよくある。

食欲や嗜好の類はわかりやすい。
お腹を壊すかもと思って食べてしまって、やっぱりお腹を壊す。
飲み過ぎてはいけないと思って飲み過ぎる。
ダイエット中だから食べてはダメと思うほど食べたくなって、食べる。
身体に悪いとわかっていながら、煙草を吸ってしまう。

ちなみにこれらのだめだとわかっている方を選択する際には、必ずついて回るものがある。
言い訳、理由付けである。
世の中の全てのものには、言い訳と理由をいくらでもつけられる。
これはダメ出ししようとする時も、肯定しようとする時も同じである。

他のことについても、だめだとわかってやってしまうことは数多くある。
運動した方がいいのに、ごろごろしてしまう。
今片づけた方がいいのに、放っておく。
そこにスマホを置いておくとその内落とすかもと思っていると、実際落として画面を割ってしまうとかも、同じである。
(これを「運が悪い」と思ってしまう愚かしさも、人間である。)

これらすべてを包含して「努力不足」「意志が弱い」「だらしない」という言葉で断罪される。
これは、本当か。

検討の上での一つの方向性として、やる気が起きないことは、好きではない可能性がある。
あるいは、意志に反する行動によって起きる未来に対し、本気でないという面がある。
本気で好き、欲しい、あるいは起きて欲しくないことであれば、どんな理由があっても、そちらを選択するはずである。

つまりは、やる気や努力とは、根本は好き嫌いの本気度や、もって生まれた使命の問題ではないかというのが仮説である。
それなのに体と心が拒否するようなことを無理して続けると、よくない反動が来る。

あんなタイトルの本を書いておいてなんだが、特定の〇〇に関するやる気スイッチは、全員にはないのである。
〇〇に入るものが根本的に嫌いな人には、そのスイッチは存在しない。(代わりに、他のスイッチがある。)
もし全員に同じように○○のスイッチがあったら、悲惨である。
嫌いなことにやる気を出してしまうことになり、それこそ人生の地獄行きである。
だから、嫌いなことにやる気が出ないのは、神様からの配慮、優しさである。

あくまで、気が付いたらそれをやっていて、やっていたらやる気が出てきた、というのが正しい順序である。

一方で、好きなことだとやる気が湧くか、楽かというと、必ずしもそうでもない。

成果を挙げない、結果を問わないという条件であれば、ただ漫然と好きなことをやればいいから問題ない。
漫画やゲームにひたすら興じることなどと同じで、それこそは、趣味の領域である。
しかし、多くは、好きなことを仕事にした場合などは特にそうだが、成果を求められる。

プロスポーツ選手はいつでも憧れの職業の上位だが、成果主義の最たる職業である。
楽しいという趣味の領域だけでやれる世界ではない。
プロとして成果を出し続けることを義務づけられると、辛い面が多くなる。
最初は好きで楽しめる面があったからこそ、それでも何とかがんばれてきた、というのが実情だろう。

受験は、その面で意味がある。
望むもの、手に入れたいものに向けて、大変なことに自ら挑戦して壁を乗り越えるという素地を養える。

また受験科目は全てを選ぶことはできないが、これは仕事の場合も同じである。
好きな教科もあれば、嫌いで苦手な教科もあるかもしれない。
しかし、そんなことは自分の都合であり、相手の知ったことではないのである。

話を戻すと、要は本気で好きなこと、欲しいものがあるならば、辛抱を伴う努力もできるということである。
逆に言えば、努力ができないのは、辛抱が足りないのではなく、好きではない、欲しくない可能性が高いということである。
例えば勉強したくない、仕事をしたくないというならば、その先に本当に求めるものがないのではないかということである。

自分がそうしたいのに努力できない、がんばれないということを見つめてみる。
もしかしたら、誰かの価値観を植え付けられているだけで、自分が本当に欲しいものではないのかもしれない。

単なる雑駁な「願い」もある。
願いだと思い込んでいる、偽りの願いである。

「お金持ちになりたい」とか、その代表格である。
実際「1億円がもし手に入ったらどうしますか」
と聞かれると「〇〇に使ったら、あとは貯金」
とか答えてしまう。
そういう人は、実はお金自体は、そんなに欲しくないのである。
お金ではなく、何か別のものが欲しいのである。
(ちなみに「貯金」と答える人が求めているものは、恐らく生活の安定と安心感である。まとめて1億円も必要ない。)
本当に「お金が欲しい」人は、「何十億出してもらって、学校を作りたい」とか、そういう人である。

話を努力と成果に戻す。
やる気が出ない時は、自分を責めないこと。
そんな時こそ自分をいたわり、自分の心と話す時間が必要である。

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